コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

縄文の美

ちょっと日が経ったけど、東京国立博物館で開催中の「縄文展」​雑感。今週末で終わりだけどね!


こんなにも緻密で、美しかったのか……!


というのが、最初の、そして全体的な感想。日本の北海道から九州・沖縄まで分布した「縄文時代」は世界的にも珍しい文化らしく、それも同時代の他の文明の土器(彩文土器、磨研土器とかあるらしいメモ)と比べて置かれるとなるほど納得感。どっちがレベルが高いとかじゃなくて、圧倒的に個性的だな、と思う。

 

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でもホント、なんでここまで装飾したのだろう。造形はもちろん、縄文を付け、あるいは無文部をつくることでコントラストを表現して、ここまでいくと日用品なのか芸術なのか分からない気持ちになる。でもきっと、日常の中に、芸術の根源でもある「祈り」を込めたんだろうな、というのは解説などを見ても思う。


そして、縄文時代の国宝6点が集合しているが、これは土器、土偶ともにさすがの存在感。生命誕生への畏敬や自然への祈りがそのままぶつけられたかのような力強さで、こういうのに疎いワシでも圧倒された。まぁ、国宝もの以外でも結構圧倒されたのはあるんだけど。


で、土器はもちろんなのだが、また装身具が美しい。貝や骨、土を造作し、ある時代からは漆を塗り、ぶっちゃけ装身具の基本系ってこの時代から1万年に渡って変わってないよね、と思うほど作り込まれている.


なお、1階でやっていた「日本の考古」展も見て思ったが、農耕文化、すなわち弥生時代になると土器も実用性や量産性が重視されているようで、やはり生活に根ざしているんだなー。


これが日本全土に広がっているってのも面白い。模倣したのか、伝承したのかは分からないけど、ある種アバンギャルドとも言えるデザインが次々に発生し伝播しているってのはすごいし、それが約1万年に渡って繋がっているのもすごい。縄文人の「想い」と、雄大な時間の流れを感じる展示だった。

 

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トモサク・ハイウェイ

ペンギン・ハイウェイ」の舞台をネット情報も元にプロッティングしてはみたんだけど、言うても著者・森見登美彦氏が生まれ育った町(生駒市)とその周辺で、そしてなんとなく、聖地巡礼をしに行く感じは湧いてこなくて。

 

むしろこの作品に触れると、自分が子供のころを過ごした街に行きたくなる。もしかしたら、そこにはお姉さんがいて、近くの森にはペンギンがいるかもしれない。

 

……なんてことを思ったので、小学校3年まで過ごした土地の地図を切り出してみた。

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鎌ケ谷市との市境まで数10メートルの船橋市に産まれ(赤丸)、開校初年度の咲が丘小学校というところに通っていたワシの日常の行動範囲は、オレンジの枠の中で9割が完結していた。

 

そして、今はすっかり宅地になっている市境の鎌ケ谷市側は、ワシが幼稚園の頃までは鬱蒼とした森(緑塗り部分。もちろんもっと広かっただろうけど当時の大きさは分からない)で、端っこには公園もあって、その奥に続く木々は永遠に続いていく闇に思えたものだ。

 

たぶん小学校に上がるかくらいのころ、森が切り開かれ、道路が出来た。

 

小一か小二のころ、その新しくできた道(赤い線。まだ住宅は建っていない)を辿って、行き当たった大通りまで歩いてみたことがある。距離にしたらたかが1km、でも普段の生活圏からは外れた、出来たばかりで通ったことのないぴかぴかの道を行くことは、子供にはとんでもない冒険だった。

 

そして辿り着いた大通り(木下街道)は車通りが多くて、怖くて帰ってきてしまったんだけど、その角っこにあった何かの店(紫丸)に、招き猫が何体かいたことだけが、強烈に記憶に刷り込まれている。

 

全然こじつけだし意味も違うけど、あの新しい一本の道は、ワシにとっては一筋の冒険で、ペンギンハイウェイならぬトモサクハイウェイだったんだなー、なんて戯れ言を、原作を再読し映画を見た機会に思い返してみた。

よりもい見て創作意欲を失った話

いや、一時的にだけどね。


放送は終わったのにすっかりハマってしまっている「宇宙よりも遠い場所」。ひと月以上前にBlu-rayの最終巻も来たんだけど、割と繰り返し見ていて他の映像消費に影響を与えるほど。まぁ自分でも、ここまでハマるのはキモい感あるけど仕方ない。

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一応これでも、創作を志したこともあるし今も多少は携わっている身、人並みより多少強くは創作意欲があり、素晴らしい作品、コンテンツに触れると、多かれ少なかれそこを刺激されるんです。それこそ大作映画から、友達が出ている芝居まで。でも、本作を最初に見た時ばかりは創作意欲が無くなっていって。


こんなん創られたら、もう創るもんないじゃん。


いやいやいやいや、自分でも大袈裟だと思うんですよ。決して完璧な作品というわけではないし、あくまで自分の尺度、旅が好きで、南極も昔から行きたくて、そこで展開される物語を自分なりに妄想していた自分なりに、ってことで。


そして、構成厨としてはストーリーの組み立てにも感服。1話ずつでも全体としても隙と無駄のない、だが遊びはある構成。キャラたちは、それぞれの役割は明確なのにさらに作中で成長して深みを増していく。最後まで見るとイントロだけで泣ける曲も素晴らしい(音楽ディレクターに友達がクレジットされてて、おお!と思った)。


自分の中で、「物語の完成形」を見ちゃったつもりになったんだなぁ。それで創作意欲がなくなっちゃった。でもま、少し経って復活してきてるのだけどね!


てことで、あんまり近々は出来ないかもだけど、遠からず、元南極越冬隊の料理人の方がやっている西荻窪の居酒屋で、ひたすらに“よりもい”のことを喋る飲み会やりたい。誰も居なくてもひとりで浸って飲みたいし料理人の方の話し聞きたい。

高川山登山

急遽予定が空いたので、計画だけ立ててた近場の百名山どこか登ろうと思ってたのに、目が覚めたらそれら全てに間に合わない時間だったので、近くて駅から登れて4~5時間くらいの山を探して見つけた山梨県高川山。山梨百名山のひとつで大月市秀麗富嶽十二景のひとつ。ありがたみが分からん。

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最寄りの初狩駅を経ったのはもう12時。山登り始める時間じゃないけどまぁつらつら。

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登山口までの間に小さな溶鉱炉みたいなのを見つけて少し興奮。

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ゆるゆる15分くらい歩いて登山口来たら、予想外の急斜面でびっくり。あれ、ハイキングレベルなのでは……?

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まぁもちろん本当にきつい登りに比べたらたいしたことないけど、なんだかんだ標高差500mを1時間掛けて登ったのはそこそこハード。山頂は、大月市から富士吉田市までの、富士急行や高速道路の走る谷あいを一望でき、その先には富士山。少し雲が掛かってたの残念だけど、気持ちよく雄大

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(リニア実験線!)

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(富士山を借景にコンビニおにぎり)


来る時買ったコンビニおにぎりはむはむ食べて、別登山道方面へ。なんでも、むすび山なる所まで縦走出来るのだとか。こっちはゆるーい道かなぁ……と思っていた自分をぶん殴りたい。


滑りやすい急斜面、見失いそうな道、角度の急な崖に囲まれた細い道、とこっちの方がよりしんどい!


とはいえ、基本的には稜線を歩くし、道中は森の中でたまにしか眺望は望めなかったけど、その分直射日光は浴びずに、たまに風がゆるやかに吹き、心地よい山道だった!

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(狼煙台跡)


てっきり1時間半くらいで着くかと思ってたむすび山山頂には2時間20分かかってやっと到着。

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(手前は塹壕跡)


でもここからはすぐ市街地で、そのまま大月駅前まで歩いて、「かつら」なる店で生ビールに郷土料理で今日減らしたカロリーを戻し……もとい、今日の疲れを癒して帰路へ。近所の銭湯で全身伸ばして足をほぐして帰宅!

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(おつけだんご)
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(餅入りの大月餃子)


やー、普段の運動不足を猛省しつつ、とりあえずまだ体力だけでなんとか登れて、楽しい登山でありました。



でもやっぱり今日のハイライトは、たまたま同じ時間に、互いに見通せる山頂に友達がいたことかな。


ワシが高川山山頂に着いたよん、ってのを仲間内のメッセグループに送ったら、その中の1人から「今ぼく富士山頂に着きました」ってきて、ちょうど互いに目に入る山の山頂にいるやん!まぁ、こっちから富士山は間違いようがないけど、富士山側からこっちは数多ある峰の一つだけどね。笑

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高川山と富士山からそれぞれの山撮って送りあうの、頭悪くてホントすこ。

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高川山山頂から富士山頂)
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(富士山頂から高川山方面。分かるかっ!)

映画「カメラを止めるな!」見てきた

こんだけ話題になってしまったから、まぁあまり「ネタバレ」とか気にしないで(とはいえ事前情報は仕入れずに)鑑賞。川崎はチネチッタ

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まず、エンタメ映画としてきっちり面白かったってことは素直に感じた。役者の個性も出ていて、アイデアも良く見せ方も構成も上手い。これを言われている通りの低予算で撮ったならすごいことだと思うし、映像としての仕上がりも良いクオリティ。

 

その上で、以下「ネタバレ」にならないはずの感慨。作品そのものの感想とは別ってことで。

 

まぁちょっと冒頭と矛盾するけど、これだけ言われているので、つい色んなパターンを想定して観に行ってしまったワケですよ。そしてその予測のひとつを外れてはこなかった。それは「37分のワンカット」を観ている段階から気付いたし、むしろ気付かせる伏線を製作側は入れてきている。

 

だから、観た人には分かるように言うと、ワシの後半の楽しみ方は「答え合わせ」。まぁそれがひとつひとつ明確になっていったのも、すごく面白かったんだけどね。

 

もちろん、この手法を知らない人もたくさんいるはずで、これは単に「知ってるか知らないか」というシンプルな問題。だから斬新に感じる人がいるのも確かで、そこにカタルシスを感じる人もあるだろう。

 

ワシは、手法自体は驚かなかったので、それを踏まえての丁寧な映画作りを楽しんだし、先述のとおり「伏線とその答え合わせ」が面白かった。ここは誰かと酒飲んで語りたいなー。

ダム酔い

八ッ場ダムで酔ったんですよ。

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先週末、新潟方面を旅してたんだけど、その旅のハイライトの一つ、八ッ場ダム群馬県だけど。


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その様々な背景は一旦置いといて、あの規模の大型ダムの建設中の模様が、比較的行きやすい場所で見学できるってことで、巨大建造物スキーとしては垂涎の場所だったのであります。

 

実際行ってみて、製造工場が隣接してて直接流し込まれるセメントやら、湖底に沈むので付け替えられたJR吾妻線の旧線を使ってパイプラインが巡らされてたりとか、そういえば幼少の頃から時刻表を見て憧れてた川原湯温泉はもう行けないんだなぁとか、様々な驚きと感慨はあったけれども。

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(セメント工場。この右下にダム本体)
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(旧吾妻線の鉄道橋梁をパイプラインが走る)

 

自分に驚いたのが八ッ場大橋散歩。駐車場に車を停めて、かなりの高さの橋を真ん中に歩きながら、左手に建設中の八ッ場ダム

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……ワシね、基本的に船にもVRにも高所にも酔わないんですよ。割と三半規管は強い自信がある。それでもここ、歩いているだけで目眩がしてくる。

 

恐らく、歩いている橋の欄干は動いて行くのに、それと対照する八ッ場ダムが大き過ぎ&遠くてほぼ動いてないように見えるから、脳内で情報処理が出来ていないのでは。的なことを一緒にいた映像系友人が言ってたけど、なるほど納得感。手前と向こうのスケールの違いがでかすぎる!

 

という、稀有な体験が出来るので、やはり八ッ場ダム見学お勧め(そこ?)


八ッ場ダム工事の夜景がものすごかった - デイリーポータルZ http://portal.nifty.com/kiji/180601203032_1.htm

RENT2018

ブロードウェイの伝説的ミュージカル「RENT」が再び日本上陸ということで、RENT好きの友人に誘われ行ってきた。一昨年ニューヨーク行った時には聖地巡礼もしちゃった我々だしね。

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やー、やはり素晴らしい物語と音楽。ワシが言うと笑止だけど、この作品を観ると人を愛したくなる。愛の形はどんなものでも良いのだけど、包み込む愛、包み込まれる愛、それを続ける難しさ、その暖かさ、そんなことを延々と考えてしまう。


そして今回強く感じたのが、死ぬ時は誰かに抱きしめられていたいな、ということ。


ワシが今まで看取ってきた死は、大概病院のベッドの上で、医師に囲まれ、家族はせいぜい手を握るくらい。でも叶うなら、場所はどこでもいいから抱きしめられて逝きたいな、と。まぁ送る方も嫌だろうけどさ。この辺考えちゃったのは、数日前SNSで終活的ポストをした影響もあるかも。


他にも、ボヘミアン(自由奔放)の生き方、その人生賛歌、絶対的な一夜への思いとそれに囚われる虚しさなどなど、様々な作品の素晴らしさに浴しつつ、残念な面も……。


シアターオーブは多分初めてなんだけど、この作品をやるには広すぎる小屋だったかな、と。


セットとしてはこぢんまりとしているので、客席が広すぎると、歌唱の迫力が薄れるし、何より役者からの圧が足りない。そして、本作はエンジェルという稀有なキャラクターが魅力の一つなのだけど、彼(彼女)を含む一部主要キャラが、ほんの数シーンだけど重要な場面で歌に説得力を欠いてたかな、と。


映画版を最初に見たことも有り、また舞台は2009年の来日公演時の、ほぼオリジナルキャスト版のイメージが強くて、どうしても一昨年の公演の時も今回も物足りなさを感じてしまった。まぁこの辺、我ながらきちんと見比べているというよりは、情報で観ている感は否めないんだけどね。