すごい日本地図
すごい日本地図があるとDPZの記事で拝見して行ってみたら本当にすごかった。
日本列島の立体模型地図がすごすぎて動けなくなりました https://dailyportalz.jp/kiji/should_see_the_three-dimensional_map_in_tsukuba
場所はつくば研究都市群の中にある地質標本館。隣はJAXAだけど互いの入口は歩いたら10分以上かかりそう。
入口の吹き抜けにはいきなり、裏返した日本地図と長さの違う棒に吊るされた大きさの違う球。これ、地底から見ているイメージで、日本で起こった大きな地震の震源の深さを棒で、マグニチュードを球の大きさで表している。何それ早くも大興奮!
で、件の日本地図。本当にすごい!
立体造作された地表と海洋が下地となり、タッチパネルをいじるとプロジェクションマッピングで映像が投影されて、ベースになる地図や、鉄道網、河川網、等高線等深線、断層や構造線などなどが様々に切り替わる。すごい、すごいしか出てこない(語彙力)。
日本って細長い国土なのに山岳国家だし、海側もすぐ近海に深いところが並んでいるし、小笠原諸島の海底火山と島の紙一重さもあるし、地球規模で「起伏に富んだ土地」だなと思わさせられる。
そんで、ポチポチいじってると、なんとなく今自分が日本を支配している気分になれるのも楽しい。
別の部屋には、環太平洋の地形が分かる模型があるのだけど、これもすごい。分かっちゃいたけど、やはり日本近海は様々なプレートが沈み込んでいる海溝のデパートなんだけど、これ、大陸側(中国側)から見ると、日本の向こうに崖があるようにしか見えないのな!と一緒にいた友人が言ってて得心した。
他にも、火山と温泉の関係(これも日本とその周辺が高密度!)、日本を貫く中央構造線とフォッサマグナと断層の展示、石や化石の展示(都道府県の石なんてあったの初めて知った)などなど、たっぷり楽しんでしまった。これで無料とかなんなの。ネ申なの。
夢中になりすぎて隣のJAXAの展示を見に行く時間が取れず(まだ行ったことない)だったし、科学をテーマにしたイベントとかをあれこれやっているみたいなので、ここら辺はまた来たい!
いらつく作家〜クリスチャン・ボルタンスキー展
クリスチャン・ボルタンスキーの作品は、いつもイライラさせられる。
それでもやはり展示があると聞くと行ってしまう。それだけ、ワシの心にぞわぞわを植え付ける現代アーティストなワケだけど、今回、国立新美術館でLifetimeと名付けられた回顧展をやるってんで、やっぱり来てみた。
そして、とんでもない疲労感を持っていま、会場を後にしている。
いや、理由は分かってるんだよね。氏の作品は常に「消失」を意識させられる。有り体に言えば、「死」を直視させられる。物理的には非暴力(アート作品だから当たり前)なのに、心の奥底に向けてとんでもなく暴力的に、「死」を語りかけてくる。
だからいつも、生という名の急流に飲まれ溺れているような苦しさを覚える。
たくさんの点灯する電球が置かれた部屋、その電球はこの会期中に3つずつ消えていき、最後の方の日には暗い部屋になっていく「黄昏」という作品が、今回は特に響いた。分かりやすいが故に染み込む消失の実感。
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そしてこの後、SNSでの友達からの情報で、「エスパス ルイ・ヴィトン東京」でやっていたボルタンスキーの映像作品の展示「アニミタス2」も行ってしまった。まさかのはしご。まぁそっちは、そこまで抉ってこない作品だったのでのんびり楽しんだけど。
サメの泳ぐプール〜むろと廃校水族館
徳島に肉を食いにきたついでに、高知は室戸岬足を伸ばしてやってきました、「むろと廃校水族館」!
2001年に休校、2005年に廃校となった室戸市立椎名小学校を再活用し去年開館した水族館なんだけど、もう、25mプールでサメが泳いでいる写真を見た瞬間に魅せられて、今回の旅路に盛り込ませてもらった。
でね。最悪時間なければそのプールだけ見られれば良いやと思ってたのね。
とんでもない!ここ、他の展示もすごく楽しい!
まずは学校の設備を活かした展示。とび箱や手洗いや机椅子などを上手く使ってる。
次に、デザインや設計のコンセプトの良さ。学校であることを下敷きにしつつ、洒落たアイコンや、逆に懐かしさを感じる展示をしている。理科準備室に人体模型と一緒に魚の骨が飾られてるのとか唸った。
そして、キャッチーさ。「屋外大水槽(25mプールとも呼ばれています)」に泳ぐサメやウミガメを惹きにしつつ、屋内の展示も大変キャッチー。まず明るめなので水棲生物がよく見えるし、ウミガメ水槽に主的な大きさのがいたりもする。
美しさ、懐かしさ、楽しさ、そう言ったものが刺激されまくっているのに、入場料は600円(大人)と破格。ここは面白かったし、長旅をした甲斐があった!なんならまた行きたいわー。
メディア芸術祭2019
文化庁メディア芸術祭受賞展行ってきた。
ずっと国立新美術館=六本木だったので気軽に行こうと思ってたら、今年はお台場でちょっと遠征感。日本科学未来館とフジテレビ湾岸スタジオ。
アート部門。例年だけど、ハマるものとそうでないものが二極化してて、それはアートというものの特性上当然ではあるんだけど、今年の大賞作「Pulses/Grains/Phase/Moiré」は個人的には全然響かなかった。
強く響いたのは、バクテリアを題材にした生物学の論文をバクテリアに食べさせる、という「Culturing <Paper>cut」。もはやアートとは何かを問い直すレベルだけど、表現としては入れ子構造とメタ的な収束を感じて、いろいろ妄想が膨らんだ。
もうひとつ、精神的に不安定になりつつ気持ちよさも感じたのが「datum」。『空間を表すXとY、色の混合要素R、G、B、フレーム数にあたる時間Tの、6つの数値を空間座標として持つ点として捉えると、映像中の全画素を6次元空間に浮かぶ点の集合と考えられる。』何言ってるの?って思うじゃん。でもその場に立ちすくむと、この『6次元』を浴びている妄想が捗る。
紛失騒動で話題になった「Watage」はシンプルに綺麗。
エンターテインメント部門の大賞は、さすがの人気「チコちゃんに叱られる」。着ぐるみとCGを合成させる演出の面白さよ。
優秀賞には、結局遊びに行けなかったスクラップさんの「歌舞伎町 探偵セブン」、Perfumeのテクノロジーパフォーマンス、そして「TikTok」と横綱相撲感あるラインナップ。
そんな中、認知症が進み子供返りしていく祖父と、美大に通い大人になっていく孫娘に、やがて同期する瞬間が現れるという「春」という映像作品が気になった。「ふたり、思春期」というコピーも良い。
アニメーション部門は、原作小説好きな「ペンギン・ハイウェイ」の受賞が嬉しかった。アオヤマくんとお姉さん(そしてお父さんも)、やっぱり好きだな。会場で知って気になったのは、スタジオポノック製作の「透明人間」と、「The Little Ship」なるロシアの短編アニメ。
マンガ部門の受賞作に読んだことあるのはひとつも無かったが(推薦作品の「ブルーピリオド」くらい)、画力の無駄遣いと評されたギャグマンガ「宇宙戦艦ティラミス」が気になったので読んでみたい。
会期は今週末まで。無料だよー。
http://festival.j-mediaarts.jp/
見たことのある、知らない未来
平日美術館巡り3本目は「シド・ミード展」。車メーカーでのインダストリアルデザインに始まり、SFを中心にした様々なコンセプトアートやアートワークを生み出してきたイラストレーターの巨匠。
やー、すごい。何を見ても言葉にするのが無粋というか、陳腐になるけど「ここに未来がある」。
ファサードのイラストに書かれていたのだが
「私はつねに作品を通じて、実現可能な未来の世界を人々に提示してきました」
とあったんだけど、そうなんだよ、すごい創造の世界なのに、この世界の延長に感じるんだよね。SF作品でもそういうものが好みなんだけど、まさにそのツボを突かれた感がある。
出世作の「スタートレック」、日本の作品だと「宇宙戦艦ヤマト」シリーズやガンダム、特に「∀ガンダム」の展示があり、工業デザインとファンタジーの融合に嘆息した。
ARアプリを通して見ると下絵が見える仕組み
ピュリスム展&林忠正展
平日美術館巡り、二軒目は国立西洋美術館へ。西洋で日本美術を商った初めての日本人で、ジャポニズムを支えたといわれる林忠正の展示を見たくて来たが、そちらは常設展の入場で見られるようようで、ピュリスムってワードが気になった企画展「ル・コルビュジエ 絵画から建築へーピュリスムの時代」から入ってみた。
ル・コルビュジエは国立西洋美術館の設計を行った人物で、それを理由にこの建物は世界遺産にも指定されている。そんな彼が建築の前に行っていたのが絵画。そして提唱していたのがピュリスム。
キュビスムはよく聞くけどピュリスムってなんやねん、と思ったら20世紀初頭、当時の最新だったキュビスムへのアンチテーゼとして掲げられた絵画手法なんだって。日用品を単純化し、調和と秩序をもった構成で幾何学的に描くというもの。
でも、キュビスムも実は秩序ある構成であることが理解され、いずれピュリスムの人たちがキュビスムに傾倒していく、というのが面白いし、物語性高い。
実際に、ピカソ始めキュビスム作品も展示されてて(やはりワシはこっちのが好き。ピュリスムは面白みを感じない)、ピュリスム作品もその後期にはキュビスム的になってるの面白かった。
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常設展で、モネの睡蓮始め所蔵品の近代西洋美術作品を見つつ、林忠正展。とはいえ彼が作品を作ったのではないので、展示は交流あった画家からの手紙や関わっていた書籍の紹介。地味ではあったけど、氏の交流の多岐と功績が窺い知れるものだった。