コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

南ヌ島で

本日は、今年の旅記蔵出し第二弾、一日日本縦断アフターです。


『一日日本縦断』ってのは、この夏7月11日に企画、完遂した、0時に北海道は宗谷岬を出発してその日のウチに沖縄波照間島にたどり着く、という旅企画。ルール詳細と記録は以下の日記をご参照。

tomosaku.hatenablog.jp

写真

picasaweb.google.com

 

でまぁ、一日日本縦断記そのものは完結しているんですが、それから翌々日に帰るまで、書きたい幾つかのことがあったのでそれを今日はオムニバス的に、『西浜荘の飯場で』『星空、アップグレード』『そらのあお、うみのあお』『ボクサーの父』の四本です。相変わらず、需要は無視。ていうか、果てしなく長くなりました。たぶん、ワシの日記史上最長です。ゴメンナサイ。

 

f:id:tomosaku:20160317012601j:plain

日本最南端の碑の前で。チャリこいで来たら汗だく。


『西浜荘の飯場で』


波照間島は、おおよそ宿と民宿ばかりですが、ワシの泊まった「西浜荘」は、さらに大相部屋もあるというまさに格安宿。ワシも、大部屋は全然気にならないんですが、昨今公害認定までされる自分の"いびき"で回りに迷惑をかけるのが忍びなくて、この日も700円高い個室にしました。それでも2500円。個室でもそれなりに虫とかが出没していたりして、苦手なワシにはちょっとつらいのですが、まぁそれは仕方ないこと。


で、個室、大部屋とは別に、食堂のような集会場のような10畳ほどの部屋があります。この宿、お米は無料で食べられるので(炊けてなかったら気付いた宿泊者が炊きます)、おかずだけ持ってくればお腹が膨れるというルール。で、調理場で料理をするなどして、その部屋で食べる、と。


ワシは、夕食は外で済ませていたので(『花HANA食堂』で、八重山そばと泡波)夜遅くにふらりと入っていったのですが、そこには来る時の船が同じだった、ひげモジャモジャの青年がいまして、どちらからともなく話が始まりました。


彼は栃木県出身のAくん29歳。会社勤めをしていたところから1年半前にドロップアウトして、世界中を旅しているそうです。日本に帰って来てからも地元には帰らずに旅を続けている日々だとか。この日の波照間の星空は素晴らしかったのですが(後述)、彼曰く、これまでで最高の星空はチベットでみたものだとか。


そんなところに混じってきたのが、新潟から来たHちゃん。ちょっと不思議ちゃんな雰囲気を持った20代前半くらいの女性です。彼女は夏休みを利用して沖縄に来ていたらしく、与那国で四日過ごしてから、ここ波照間にきたのだとか。彼女もワシやAくんと同じ船だったのですが、どうやら船の中でAくんと馬があったらしく、今日会ったとは思えないくらい親密な空気になっていました。翌日も、ふたりで島を回っていたみたいですしね。

 

旅の話題を中心に、他愛もない、とりとめない1時間。特に、翌日島を発つワシには本当に一期一会ですが、この、旅人同士が、微妙に遠慮をしつつもお互いを確認しあうかのような時間って、なんか不思議で、でも暖かい時間だな、と思うわけです。

 

f:id:tomosaku:20160317011527j:plain

深夜の西浜荘

 

『星空、アップグレード』


おおむね、明かりが少なく空気が綺麗な場所に行く度に、ワシの中の「満天の星空」は更新されてきましたが、波照間の深夜は、そのバージョンを一気にアップグレードしました。

 

日本最南端の星空観望施設「星空観測タワー」は、年間を通じて夜も開館していて、係員による星空観測&説明が行われています。昔は名物説明員がいたらしいのですが、今は休職だか引退だかをされているとか。で、波照間の宿のほとんどは夜間ここへの送迎を行っています。ちなみに夕方には、この前を通り近くの最南端の碑までたどり着いていたワケですが。

 

この夜の天候は晴れ。月は半月より少し成長した明るさで、満天の星空を見るには少し明るすぎるくらいです。それでも、月の反対側の空や明るい星、首都圏では絶対に見えない光度の星も含めて、空一杯に広がっています。観測センターの人の解説とペンライトの動きに合わせて、各宿から集まった30人くらいが空を見上げます。

 

天体望遠鏡で火星を見たり、日本最南端の波の音を聞きながらの星空観望は、これも十二分に美しい星空ではあったのですが、やはり月が明るすぎる。普段は美しい月もこの時ばかりはちょっと邪魔かな、なんてひどいことを考えながら、送迎に乗って宿に帰ります。


飯場での交流を経て、最後の一日日本縦断記をアップして、疲れていたのか23時過ぎには就寝。なのになぜか、目が覚めたら午前3時過ぎという中途半端な時間……。


そういえば、さっきタワーの人、今日は3時頃には月が沈むって言ってたなぁ。


ふらり、と部屋の外に出て、くるり、と空を見てみると……。


まさに、満天の星空


え、ちょ、なにこれ。これ星?星空?ていうかあれ天の川?天の川をここまでくっきりと見られたの初めての気がするよ!


宿の周りはまだ明かりがあるので、少し高台の方に歩いて、街灯もないところにいくと、まるで黒い布の上に小さい宝石だかガラスだかをばらまいたかのような空。地上に目をやっても、月明かりじゃなくて、星明かりで周囲が明るくぼんやりと輝いているんです。


何億年分もの光のシャワーが降り注ぐこの土地は、本気でシャングリラか何かじゃないかと思い込んだ瞬間でした。


『そらのあお、うみのあお』


波照間ではもう何人か、印象深い人に出会いました。


西浜荘のおじーは、スローモーな動きですが、黒糖作りの名人らしく、ビールを買いに行ったら美味しい黒糖を貰いました。販売もしています。ヘルパーはお姉ちゃんふたりがいましたが、ワシから利尻昆布を受け取ってくれたひとりは如何にも南の島の人、という明るい活発な方。もうひとりは、物静かですがしっかりしたタイプで、ちょっと好みだったかも。笑。


また、やはり西浜荘の宿泊客だった沖縄本島から来たというKさん。年は同じくらいの男性で、小柄ながらがっちりした方です。チェックインの時に挨拶して、狭い島を自転車で移動していたら、ちょびちょびと会いました。11日は最南端の碑で会い、また夕食を取ろうと集落をうろうろしてたら会い、夕食をご一緒することに。星空観測も一緒にで、翌12日も、昼飯時に集落にいたら出会って、昼食もご一緒することに。


波照間は10年ぶりだということでしたが、12日の午前中はニシ浜で会いました。彼はシュノーケリングをしていて、ワシは岸辺でプカプカ浮いていただけですが。


ところでこのニシ浜。昨年来たときは曇りがちだったのですが、どかっ晴れの日差しを浴びたこの日の海の色は、これまで旅をしてきた中でも群を抜いた美しさでした。

 

f:id:tomosaku:20160317011803j:plain

透明から青へのグラデーション

 

f:id:tomosaku:20160317011823j:plain

すべての色が明確な浜辺


さらのその日の午後、船が出るまでの間は集落から島の四方をふらふらサイクリングしていたのですが、古井戸やウタキ、サトウキビ畑の中を抜ける道など、暑い陽光の中を汗ダクダクになりながら気持ちよく見て回りました。

 

f:id:tomosaku:20160317011849j:plain

道の向こうのしれない、サトウキビ畑。


そして辿り着いたのが「ハマシタン」という隆起サンゴの上に自生する植物のある浜辺、「ハマシタン群落」がある「ペ浜」です。


つい先ほど感動したばかりのニシ浜を超え、今のところ生涯最高に美しい海は、この浜辺です

 

f:id:tomosaku:20160317012137j:plain

何故かFF10ビサイドを連想した浜辺

 

f:id:tomosaku:20160317012150j:plain

まさに、そらのあおとうみのあおが交じるところ


大学時代から自分で事業をやっていた頃にかけて、友人たちと「そらのあお うみのあお」という、アート的なフリーペーパーを作っていたことがありました。なんとなくそのタイトルを思い出す、果てしなく青く透明な世界を見せつけられた瞬間でした。


『ボクサーの父』


12日、ペ浜の感動冷めやらぬ中、再び石垣島へ戻ってきました。ほぼ丸一日の滞在でしたが、狭い波照間島を見て回るなら十分時間。でもきっと、この島の空気とゆっくり流れる時間の魅力を味わうには全然足りないんでしょう。それはいずれ、長期滞在の形で実現したいですね。


さて石垣島。翌朝の石垣-羽田の直行便で帰京するので、繁華街から程近い民宿「あさど屋」というところを予約しました。築120年という建物と、美味しい郷土料理が食えるという食事が評判です。


評判に違わぬ味のある建物と料理は楽しませていただき、また自転車を借していただいて周辺を少しぶらついたりもしたんですが、夕食が終わって食器を片付けにいったら、廊下のある縁側からすぐの庭で、おじさんが飲み始めていました。で、ワシの姿を見て、良かったら一緒に飲まんかね、というお誘い。

 

f:id:tomosaku:20160317012251j:plain

あさどやの庭のテーブル。ここで飲んだくれた。


一も二もなく飛びついて宴会開始。おじさんは、Nさんという宿の近所の方。そこに、宿のご主人も加わり小宴会が始まります。こういうのも「ゆんたく」っていうんかねぇ。言うんだろうなぁ。


泡盛の一升瓶と、宿の主人が作ってきてくれたツマミを肴に、なんか、いろいろ、いろいろな話をしました。50代後半らしきお二人とトモサクによる、主に人生話。


Nさんは若い頃、会社の都合で南の島に飛ばされて、フィリピンに現地妻と息子をこさえながら成り上がったところで日本に戻されて、そんで日本にはまた子供がいて、そっちはまだ中学生なんですが、なんでもボクシングでかなりの成績を残しているらしく、高校に入ったらインターハイにも出られるんじゃないか、と。


トモサク「ちょうど2010年に、僕の地元の千葉で国体が開かれるんですよね-、もしかしたら息子さん、出ちゃってるかもしれませんね(酔っぱらいながら)」

Nさん「おう、そうだそうだ。もし行ったら応援してやってくれな!(もっと酔っぱらいながら)」

トモサク「もちろんッスよ!」


いや、インターハイはともかく、さすがに国体にはでないか。


宿のご主人の人生のお話しも聞きましたが、宿から個人が特定されかねないのでそちらは書かない方向で……。食事を運んだりしてくれた小さい息子さん、娘さんも含めて、やはり難儀な道を送っているんだな、ということは分かりました。


Nさんといい、宿のご主人と言い、特別に話が上手、ってワケじゃないんですけど、とにかく波乱の人生を送っているようで、それをまた丁寧に話すもんだから、話そのものの魅力が際だちます。ワシはワシで(自分なりに)丁寧に聞いて、時折ツッコミ、また自分のことなんかも話していたら、いたく気に入っていただいたようで……3人で、繁華街のスナックへ移動(ぉ


また酒を飲みながら、カラオケで盛り上がりますが……えぇと、正直この頃の記憶はほとんどありません。確か、スナックで「島唄」を(ベタにも)歌ったら、それはそれで気に入られたらしくて「また来い!また来い!」と連呼されてた曖昧記憶。恐らくタクシーで宿に戻り、恐らく宿の主人に部屋に入れて貰い、恐らく自力で布団はかぶれた模様。


それでも翌朝は7時過ぎに起きて朝食をいただき、主人に空港まで送っていただき、朝の飛行機に間に合いました。旅の最後に濃い一夜、でも楽しい一夜を過ごせました。


ところで、その飛行機の羽田着が少し遅れたんですが、アナウンスで乗り継ぎ客への案内が出ていまして。


「この後、新千歳空港行きにご搭乗予定の●●様、地上係員にお問い合わせください」


……おぉい、ワシの他にも一日で沖縄と北海道を行く人がいるんかいっ!(そらいるわな)


『南北ニコニコ対決』

 

f:id:tomosaku:20160317012524j:plain

稚内市内で見つけた「にこにこ弁当」

 

f:id:tomosaku:20160317012541j:plain

石垣島離島ターミナル近くの「にこにこ市場」


日本全国、ニコニコですね!(違)