コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

ミュージカル・RENT

あの日、たまたま映画情報サイトで映画の予告編を見なかったら、ワシはこの作品を知らないまま過ごしていたのかもしれないなぁ。。。作品と個人の関係は「出会い」だと思いますが、だとすればこの出会いがあって、とても良かった。


RENT
http://www.rent2009.jp/

というわけで、先週の土日ともに当日券争奪に敗れたワシ。結局はヤフオクに手を出して、まぁなんかいろいろあって結局定価の4倍近い値段での落札。まぁそれでも、自分で設定した予算(5万円)以内だったから良いや、と。そして、見終わった今は胸を張って「買って良かった」と言えます。


この作品との出会いは、冒頭にも書きましたたまたまネットで見た映画の予告編。それを話した友人と一緒に映画を見に行って、ガツンと衝撃的な感動をもらって帰ったのも、もう3年前の話(http://www.yscompany.com/tomosaku/daily_log/200605.html#20060508)。その後、ブロードウェイに行くことも、来日公演を訪ねることも、日本人キャストでのリメイクを見に行くこともありませんでしたが、今回、主役二人をオフブロードウェイ時代の二人、映画でも主役を演じた二人が、たぶん最初で最後の来日をするということで、こうしてなりふり構わず見に行ったのです。


映画を一緒に見に行った友人は、一足先に本公演を見に行っていて、彼女は近年アメリカに行った時にブロードウェイのものも見に行っていたのですが、(オリジナルキャスト故か分からないけど)今のアメリカの公演よりこの公演の方が良かった!というメールを送ってきやがるので、もう期待MAX。


席はG列、思った以上にステージに近いです。その代わり、舞台の上下にある字幕タワーはちょっと見づらく、かといって字幕の方に目をやると舞台上が凝視できず……と、英語が出来ない人間の弱さがでますが、まぁここは映画で見ているアドバンテージ、字幕はチラ見くらいにして目線の基本は舞台上。アドバンテージと言えば、ぶっちゃけ映画見ておいてシナリオの理解を深めておいて良かったな、と感じました。初見がこの舞台だと、展開の早さに置いていかれたかもしれない。


さて、以下感激の観劇記。まとまっていない上、たいしたことは書いてませんが、ネタバレ有りで書きますので、知りたくない人はここで読了の程……と言っても、シナリオはほとんど特設サイトに書かれているんで、主に、演出面でしすが。










良い?





舞台は、全体の後方に建物風のグレーの建て込み、上手中後方にスクラップで作られたタワー、下手には二階建ての建て込みがあって、二階はバルコニーふうの張り出し、その下にバンドが入ります。前方とセンターは小物、小道具で部屋やら何やらに七変化。


第一幕はクリスマス・イブの夜、ニューヨークの下町イーストリバー。マークとロジャーの掛け合いにはじまり、初っぱなの盛り上がりである「RENT」を歌いながらの登場人物が次々に出てきては、二人に絡んでまた去っていきます。今更ですがこのミュージカルでは、NYの貧民が集まるボロアパート、そこに住まう芸術家志望の二人(映像と音楽)を軸に、ドラッグ、ゲイ、レズビアン、そしてエイズ。そうした社会模様を浮かび上がらせて行き、その中で「生きる」人々を描きます。


クリスマス・イブの夜は第一幕の間続き、一通りのドラマが展開されます。まさに、聖夜の奇跡とでも言えそうな濃厚な一夜。そんな中生まれる、コリンズとエンジェル、ロジャーとミミといったカップルたち。そして描かれる仲間たちの絆……後半のカタルシスへ向けた、ここまでは「創造」であり「誕生」の幕です。もちろん、随所で歌は入るし、台詞は歌うかのように放たれ、その最後は「ラ・ヴィ・ボエーム」で締められます。


休憩を挟んでの第二幕。


知ってはいたんです。第二幕のオープニングが「Seasons of Love」だってことは。映画の予告編で聞いた、この物語に興味を持った楽曲。でも、知っていたとはいえ、オールキャストが舞台ツラに一列に並んで歌う様は、まさに圧巻の一言。幕間でtwitterに「第二幕で号泣する自信がある」と書いたんですが、始まって5秒で涙目でした。



その後は、大晦日、バレンタインデーと、それぞれのドラマが追われていきます。それぞれのカップル……が喧嘩をし、愛し合い、あるいはエイズが発症しての死を迎えようとして。第一幕で「創造」されたものに次々と亀裂が入り、崩壊をしていきます。その極めつけは、ドラッグクイーン、エンジェルの死。


はい、号泣号泣、っと。


エンジェル、ってのは、この作品における無垢な存在、まさに天使なワケです。彼は自らを恥じず、恋人を愛し、仲間を慈しみます。社会的に異質とされる存在ながらも、作中においては「良心」の象徴。この作品における唯一の死者が彼であることの意義は大きいでしょうし、作者ジョナサン・ラーソンの思いを感じます。ある意味「良いヤツほど早く死ぬ」っていうやるせなさも体現しているのかもしれません。


しかし、エンジェルの死も仲間たちを元に戻すことは適わず、亀裂は広がり続けます。そして迎えたクリスマス・イブ。寒いながらも熱く過ごして出会いと創造の夜から一年。空虚さに支配されたイースト・リバーのボロアパートに、しかし新しい奇跡が舞い降りて、物語は幕を閉じます。


……ていうかね、最後の最後、全員が曲を歌っている中、エンジェルが舞台に戻ってきたときに鳥肌発動です。彼は生き返ってきたわけではなく、単純に考えるならカーテンコールのために戻ってきた、とも取れるわけですが、いやさワシにとってコレは「復活」の象徴だし、「永遠」の象徴に思えたワケで。





ワシが愛的なものを語るのは、片腹痛いですが、まぁミュージカルの感想ってことでご容赦を。


この物語で語られる「愛」の形は、一般的にみればいびつかもしれません。でも、じゃあ「一般的」ってなんなの、ってことです。どこに発生する「愛」だって、それはただひとつだけのもの。自分自身のあるがままの姿を受け入れることが、結局のところ誰かとの「愛」を受け入れることなのかもしれません。


そして、その「愛」はいつ喪われるかも分からない。だからこそ、もうこれはお約束のようなものですが、作中でもエンディングでも歌われる、


No Day,But Today.
ただ、今日があるだけ。


Seasons Of Loveで歌われる「一年間は52万5600分。それを何で計ろう。愛で計るのはどうだろう」という歌詞と「No Day,But Today.」は、一見すると相容れないようにも思えます。でも、突き詰めれば「一分」「一日」と言った、多くの人が疎かにしている単位時間を大切にすること、愛する人と過ごす大切さ、それを訴えかけているんだろうな、と。





とまぁ、ここでワシが書いているようなことなんか、多くのファンや評論家によって語られてきたことの焼き直しに過ぎませんが、ワシなりの言葉でまとめてみたかったので(まとまってませんが)、書いて晒しておくことにします。