コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

神と住む島〜バリ旅道中膝栗毛3

「ここでは、信仰が生活の一部なんじゃなくて、信仰が生活そのものなんです。信仰と、生活と、芸能が、一体化しているんです」


何を見ていたときだったか、そう語った在住後輩のセリフは、すとん、とワシの脳内に入り込んできました。や、そうなんだろうなー、という感覚はこの島に来た翌日あたりから持っていたんですが、言葉にされて得心をしたような。


バリ島を指して「神の住む島」という呼称がありますが、むしろ「神と住む島」と言った方が正しいのかもしれません。何しろ、街を歩くだけでそこかしこに神様の印(しるし)を見つけることができるんですから。


Picasa
http://picasaweb.google.co.jp/tomosaku.n/tEjhKG#





【9/7】
前夜の深酒もなんのその……というほどに目覚めが良いわけではありませんでしたが、いっとう最初に起きてた後輩にたたき起こされて、なんとか4時過ぎに起床。迎えの車は、4時45分にホテルにやってきますから、それまでに本日チェックアウトするために荷物まとめをしなければなミッション。パッキングだけして、後は在住後輩に荷物の移動を任せて日本から来た三人はデンパサール空港へ。


今日は一日がかりの弾丸ツアー、ジャワ島に渡って古代遺跡群に触れるツアーを申し込んでみました。そういえば、当初予定では9月4日、5日を「コア日」としてそこだけ日程を合わせて、あとは来る日も帰る日もその他の日のプランも自由に!って計画だったんですけど、蓋を開けてみれば、みんなが一緒にいる間はみんな一緒に行動していました。ま、一緒だと楽しいからねー。で、この日だけは在住後輩はバリに残ってお仕事ということで、3人でジャワ島へ。


朝早すぎて朝食も食えなかったので、空港のパン屋でクロワッサンと珈琲。この味は、基本的に万国共通。で、朝6時55分発のマンダラ航空というドメスティックエアラインで1時間、ジャワ島ジョグジャカルタのアジスチプト国際空港に到着したのは朝の7時。……5分?って、これはシンプルな話で、バリ島とジャワ島では1時間の時差があるってだけです。


ジョグジャカルタは、インドネシア・ジャワ島の中部南岸にある行政特別州で、「平和の街」という意味。現地では「ジョグジャ」なんて略されているようなので、ワシもこの先それを使いますが、そのジョグジャの空港を降りたところに待っていたのが、今回のツアーのガイドをしてくれるジャワ人のエディさん。第一印象から水野晴郎。ちなみにツアーは、ワシらだけの専用車で一日回ってくれるので、プランにないリクエストも多少なら可能。


スズキの赤い大きなバンを運転するのは、ドライバーのアブッサさん。車は軽く15人乗りくらいで、かなり広々と使わせてもらいます。朝イチ、通勤時間帯のジョグジャの街は、ウブドに数倍するバイクの車列がうねる激流のように街中を駆け抜けています。この日も、そしてバリよりも、暑くなりそうです。


まず最初に向かったのは「プランバナン寺院群」、ヒンドゥー教の遺跡で世界遺産です。現在、数年前の大地震で損傷し、絶賛修復中ではありますが、そんな中でも地震を耐え抜いた寺院がそびえ立ちます。そう、まさに「そびえ立つ」。40mを超える石造りの尖塔が立ち並ぶさまは、圧巻。


ヒンドゥー教の三大神、ブラフマ、ヴィシュヌ、そしてシヴァを祀る最大の塔と、その前にはそれぞれの神の乗り物であるハンサ、ガルーダ、ナンディを祀る塔。その周りには警備をする神やお付きの神の塔があり、さらにさらに外周には、崩れたままの数多くの尖塔があったらしく、なんでも全部で1000の建造物からできている寺院群だそうです。インドネシアでは、その1000の塔にまつわるちょっぴり切ない昔話もあるようで、有り体に言えば竹取物語みたいなものなのですが、そんな説明を、水野晴郎もといエディさんが、所々に日本語の駄洒落と歌謡曲を交えながら説明してくれます。



プランバナン寺院群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%B3%E5%AF%BA%E9%99%A2%E7%BE%A4


初っ端から石造文化の圧倒的な圧力に圧しやられつつ、車は再びジョグジャの市街を抜けて「タマン・サリ」水の宮殿、と呼ばれる場所を目指します。ちなみにジョグジャには今でも王宮があり王族が住んでいるのだとか。タマン・サリも元は(厳密には今も)その王族の施設。それを観光客用に開放しているそうです。


朝9時前後のジョグジャの街は、通勤時間帯とはまた違った熱気に包まれています。右を見ても左を見ても、人人人、の波。観光客を待っていたり、日常の商売をしていたり、あるいは早くも学校を終わった学生達が歩いていたり。他と何が違うってのは言葉にしづらいんですが、ワシがイスラム文化圏に初めて触れたからか、あるいは先入観として持っているアジア文化を目の当たりにしたからか、その熱気に強いエネルギーを感じます。


タマン・サリが「水の宮殿」と呼ばれているのは、かつて王族はここの水あみ場(プール)に水を張って側室やらを遊ばせ、自分は部屋の窓から今夜のお相手を捜していた名残だとか。今は使われていないようですが、なんとも羨まsもといけしからん話です。けしからんことはないか、文化の違いだ。



水の宮殿(タマン・サリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AA


タマン・サリを見学して、その周辺の住宅街を抜けて駐車場に戻りますが、ここが、まさに市井の人々の生活の場って空気をまとっていて、失礼ながら興味深く右左を見てしまいました。そんな中に鍛冶屋さんを発見。ふいごで熱した火の中から赤く熱い鉄を取りだして打ち付けるさまを初めて見ました。


次に向かったのは、BATIK(バティック)の製造&販売をするお店。まぁアレです、国内ツアーでもお土産屋さんに連れてかれるような流れですな。BATIKとは、インドネシアを中心とした東南アジアの特産品で、ろうけつ染めの布地のこと。特にジャワ島のものは「ジャワ更紗」とも呼ばれているとか。最初「ベティック?」と聞き直したのは内緒。それ、母校にあった放送系サークルやん。


BATIK PLENTONG TRADISIONAL INDONESIA
http://www.alibaba.com/member/tradisionalbatik.html


パッと見フツーのおじちゃんやおばちゃん達が、筆を使ったり金型を使ったりで、正確に模様を記していくところを見ていると伝統工芸を感じますが、お店の側に来て、この国の給料では超高級品の値段を見ると、資本主義を感じます。まぁそれでも綺麗だし、物珍しくて買っちゃうんですけどね。



蝋で模様を描いている

金型で正確に模様を付けていく


今度は車で市街地から1時間ほど、今回のメインでもある「ボロブドゥール寺院遺跡群」に向かいます。こちらは仏教遺跡。プランバナンはヒンドゥーでしたし、(偶像崇拝を禁じる)イスラム教の島なのに、と思うと面白い。車中、朝が早いワシらは移動中寝てましたが、ガイドのエディさんも寝てました。ドライバーさんが寝なくて良かった。


ボロブドゥール寺院遺跡群(ボロブドゥール寺院、ムンドゥッ寺院、パオン寺院)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%AF%BA%E9%99%A2%E9%81%BA%E8%B7%A1%E7%BE%A4


メインの「ボロブドゥール寺院」の前菜に「ムンドゥッ寺院」「パオン寺院」へ。この三つは一直線上に建てられていて、未発見のものを含めて大きな寺院群を構成していたと思われているそうです。ムンドゥッ寺院は、中に飾られた三体の石像、釈迦と鬼子母神毘沙門天(と思われる)が見事。あと、寺院横の巨大なガジュマルの木も見事。パオン寺院の「パオン」は「台所」の意らしいですが、かつてはここで王族の火葬が行われていたと見られているとか。台所で火葬て。



ムンドゥッ寺院の、真ん中が釈迦像、左が鬼子母神、右が毘沙門天(たぶん)


「ムンドゥッ寺院」と「パオン寺院」の間に、地元のモスクを見学させてもらいました。エディさんは当然のようにイスラム教徒でいろいろと説明をしてくれます。そして実際にお祈りを捧げる人たちを見て、ここはここで、生活と信仰が一体化しているんだな、と認識。


さて昼時、車は煙草の製造をしている山中を抜け、その上に忽然と現れたアマンリゾーツのひとつ「アマンジヲ」へ。ここでランチを取るってプランなのです。アマンリゾーツ初めて来ましたが、すげぇ、金のかけ方がすげぇ。


まずは何より景色がすごい。高台のこの場所から、熱帯雨林の緑を上から見下ろす形で遠大に眺められ、しかもその景色の中には、これから向かうボロブドゥール寺院もあります。料理ももちろん丁寧に調理されたものが出てきますし(味は、フツーに美味いレベルでしたが)、内装も豪奢。完全なる別世界を演出していました。ちなみに、ランチでもお客は日本人と欧米人ばかり。



レストランからの眺め。中央左にボロブドゥール遺跡。


風が通り風景を眺めやれるレストランからで昼食をいただいた後は、ちょっとホテルに頼み込んで、空いている部屋を見学させてもらいました。いうまでもなく、こちらも豪奢。一番安い部屋で一泊USドルで700だって言うんですから、まぁうなずけますけどね。



アマンジヲ
http://www.amanresorts.com/amanjiwo/home.aspx


アマンジヲから5分程度で、遂に「ボロブドゥール寺院」に到着。ここは、国の決まりで専属ガイドしか案内できないらしく、エディさんとは一旦分かれてハリーさんという、でっぷり腹の出たおじさんにバトンタッチ。なんでも、元々このあたりに住んでいたらしいのですが、世界遺産、国立公園化の中で立ち退きを迫られて、でも今はガイドで生計を立てているとか。地味にヘビーな話題。


目の前に現れたボロブドゥール遺跡は、圧巻に加えて壮観。高さ三十数m、一辺は100mを超える巨大石造遺跡です。外壁には、有名な「釈迦の一生」を描いたものの他数多くのレリーフが彫られ、また頂上部には、仏像の入った72のストゥーバが並ぶなど、見ているだけで圧倒されます。詳細はwikipedia参照。


造形も素晴らしいですが、上からの眺めも素晴らしいです。北方の山が、なんでも人が寝ている姿に見えるとかで、この遺跡を作った巨人が疲れて身体を横たえている、と言われているとか、あるいはどちらを見ても、熱帯雨林と遠くに山々、ところどころに集落を見渡したり、とにかく、造形も景色も、どこを見ていても飽きません。



ボロブドゥール遺跡

巨人に喩えられる山

ストゥーバ

遺跡上部から、南方を眺めたところ


かといって帰らないわけにも行かないので、適当なところで遺跡を降りて入口へ。途中、ハリーさんが道に落ちていた木の実を「これ、ジャワ島の梅干し」と言って剥いてくれるもので、躊躇いながらも口に入れたら、酸っぱい杏のような味で意外に食える。でも二個目はいらない。他にも、アーモンドの実を叩いて取りだしてくれたりなかなか面白かったのですが、考えてみれば落ちてたものを食ったわけで、特に他国であるのを考えればなかなかに勇気のある行為(何)。


ボロブドゥール遺跡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AD%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%81%BA%E8%B7%A1


公園内で象なんかも見ながら、ガイドは終了。またエディさんにバトンタッチ。途中、小物・雑貨が豊富なお土産屋に寄って貰ったものの、ここからは空港に帰るだけですが……朝、空港の前で鉄道を見てしまった一行は、時間があれば、と頼んで駅に連れて行ってもらうことに。なんだこの、全員揃っての鉄っぷり。


日も暮れなずんだジョグジャカルタ駅に到着。時刻表や駅内表示はまったく読めませんが、イメージ的には昔の上野駅13〜18番ホームのような、長距離列車の発着がメインのような雰囲気。朝晩は、近距離の通勤列車もあるようですが本数は多くなく、やはりここの交通の足はバイクがメインなんだなぁ、と。


薄暗い構内、お客の数も多くはありませんが、寂れているふうでもなく、列車は一編成だけホームに停まっています。白地に青のディーゼル機関車に引かれるようで、長い車体も白基調。そこかしこが汚れて、黒ずんでいますが。この列車が、18時30分に発車と言うことで、20分くらい待ってそれを見届けることに。フライトまでの時間を考えると晩飯は食えそうにないので、駅構内にあるハンバーガー屋で済ませます。なんのやる気だ、これ。



駅構内

機関車


構内を歩き回ったり、駅の構内にもモスクがあることに驚いたり、散々撮影したりしているうちに発車時刻。長い汽笛を鳴らしてゆっくり駅を離れていくのを見ると、旅の途中なのに旅情をかき立てられます。お土産がわりに


鉄成分を充分に堪能した一行は、今度こそ空港へ。夜もとっぷりと暮れた街中を30分くらいのドライブで辿り着き、エディさん、アブッサさんに別れを告げ、再びマンダラ航空に乗って一路、バリへ。空港まで迎えに来てくれていた在住後輩の手配で、再び今夜からお世話になるトランブランコテージの車に乗って、宿へ。


早朝からの行程にすっかり疲れたとはいえ、全員が揃う最後の夜飲みでもあるので、うつらうつらしながらも飲んで語って、途中大雨が降り出してちょっぴり雨漏りがしたり、表ですごい音がしたと思ったら、庭の電気が雨で漏電していてパチパチショートしていたり、なんとも弾けた夜になりました。





【9/8】
ワシにとっては最終日。同級生と後輩は明日までいるとのことですが、この辺は、それぞれの休みの都合でやりくりした結果。そんな一日も、また日本時間の普段通りの時間に目覚める体内時計の不思議を感じつつ、朝飯は遠慮して二度寝して昼食に備えることに。


というのも、この日の昼食は「バビグリン」と呼ばれる豚の丸焼きを、早めの昼時に食すことにしていたので、腹を空かせておこうと言う魂胆です。実際、しっかり朝食を取った2名は、結構食事がきつかった模様。


「イブ・オカ」というそのお店は、ウブドの市場近くにある大きくはない食堂ですが、店頭で丸々艶々と焼かれた豚を解体しているので目立ちます。で、丸焼きといっても、豚をまるっと食べるわけではなく、その一部一部を入れたチャンプルにして食うので、ご飯のボリュームはありますがランチにちょうど良い量です。値段も25000rp。安い。



IBU OKA(イブオカ)
http://www.bali-chili.com/center/enak/18ibuoka.html


で、昼飯を早めに取った理由は「ガベン」を見るため。バリ島の一種の名物「火葬儀礼」のことで、早い話が合同葬式です。


ガベンについて
http://www.apa-info.com/kasousiki.html


ガベンの日取りは暦を見て良き日に定められ、地域ごとに年に1〜2度あるかないからしいので、こういう言い方も不謹慎かもしれませんが、満月のケチャ&お祈りもでき、ガベンも見ることができた我々は、非常に運が良い日程でバリに来たことになります。


昼下がりの時間、道ばたに待っていると、道の先からこちらに迫ってくる一団があります。亡骸を運ぶ御輿と、火葬に使う張り子を運ぶ御輿、ひとりの送られる者に対して二つの御輿が、それぞれ数十人の男衆に担がれて運ばれてきます。持ち上げたり、降ろしたり、右や左にゆらゆら揺れたり……その前後には、お供え物や飾り、ストゥーバなどを持った女衆が、井戸端会議でもするかのように歩き、最後にこれまた賑やかなガムラン隊が楽器を打ち鳴らしながら歩いてきます。






御輿や遺影、ガムラン隊などなど


とにかく賑やか!これはまさに「葬祭」、お祭りです。途中、電線に引っかかって御輿が進まなくなったりもご愛敬。人々の顔に、悲しみが無いわけではありませんが、基本的には明るく、死者を賑やかに見送ろう、という意思を感じます。


それにしても、ひとりの亡骸に数十人から100人くらいが参加していますが、物の本によれば、なんでもバリでは地域共同体の繋がりが今もって非常に強く、普段の生活でもご近所づきあいが非常に盛んなんだとか。ある意味で、かつての日本のムラ社会に似ているのかもしれません。


行進は寺院まで賑やかに続きます。その寺院とは、4日に満月のお祈りをしに行った「ダラム・プリ寺院」。寺院に到着した亡骸は、その体を火葬用の馬の張り子に移されて、火葬されるのを待ちます。火が付くまでは1〜2時間かかるというので、少し休憩をして待つことに。


と、道を歩いていると、別のガベン隊(というのかどうかは知りませんが)と遭遇。最初の隊は火葬用の張り子が白と黒の馬でしたが、こちらは赤の獅子風。ほーう、いろんな種類があるんだなー、と、同じ街でも共同体で違うんだろうという想像をしながら隊列を見送ります。



また別のガベン隊が、犬に先導されるかのように迫ってきます。


休憩に入ったのは、「Mama's Warung(ママスワルン)」という小さい食堂。在住後輩が昔滞在していた一部で有名なロスメン(民宿)「ユリアティ・ハウス」から近く、彼女曰く、彼女の選ぶベストナシチャンプルはこのお店だとか。是非試してみたかったのですが、先ほどのバビグリンのチャンプルでお腹いっぱいになっていたので、泣く泣くココナッツジュース等々を飲みながら休憩。途中から隣席にきた日本人のおばさまと会話をしていたら、結構良い時間に。


再び寺院に戻ってみれば、その手前から見える煙。ちょうど、火葬が始まったところでした。行進の頃からそうでしたが、見送る地元の人々に混じって、多くの観光客もいれば、物売りもいます。その意味でも賑やかな葬祭だとは思うのですが、やはり、実際に燃えていくこの瞬間は、その中に厳粛な気持ちが渦巻いていた気がします。


火を点けられ次々と燃えていく張り子、その中に置かれている亡骸。一緒に燃える飾りとともに、ものすごい火力と熱さです。炎のはぜるバチバチという音が、結構な人数がいるはずの人の声すらかき消して、死者から生まれた煙が高く青い天に帰って行く……全く知らない人たちの弔いなのに、何故か、非常にリアルな死を感じたのが、自分的には不思議でもあり、得心でもありでした。




ここの人たちにとっては、これこそが天に帰る道。


火葬も一段落したところで、またもや生きている人間は煩悩タイム。三度市場に行って、あるいはストリートのお店を巡って、最終的には地元の巨大スーパーに行って、お土産はもちろん、なんか楽しいもの捜し。というか、買い物そのものが楽しいですね。そういう感覚を、普段はあまり買い物をしないワシはすっかり忘れていました。


そしてワシの最後の晩餐、ってことで、地元でそれなりに高級という「CAFE DES ARTISTES」へ。ビフテキ(など)のお店です!肉!肉!暗めの照明に、まずは乾杯のスパークリングワイン。「ハッテン」という名前の、バリの地ワインです。アッーーーー!


スープなんかもいただきながら、メインの肉が出てきましたので口に運んでみると……うそっ、すごく美味しい……。や、意外なくらいというと失礼ですが、(自称)肉マニアのワシからみても、とても美味しいお肉でした。滅多にない、肉で感動をついしてしまった程。しかも、これで750円とか……マジか。。。肉の柔らかさ、噛み具合、噛み締めたときの肉汁の広がり、喉を通るときの存在感まで、全てにおいて合格点。勢いでもう一枚食ってしまおうかと思いました。


CAFE DES ARTISTES
http://www.cafedesartistesbali.com/


食べている間に日もとっぷり暮れましたので、またコテージの車に迎えに来てもらって、一旦はコテージに帰還。ワシだけ惜しみながらもパッキングを始めて、最後に集合写真を撮って、みんなとはここでお別れの挨拶。その後、またコテージの車で空港まで送ってもらい、23時55分のフライトで、一路日本に帰ってきました。



……最後二日分の日記は、ここまでで約7500文字。恐らくmixi日記の最長記録を更新しています。まぁ、ここまで読んでいる人はほとんどいないでしょうけど、長くてサーセンww


そんなこんなですっかり楽しんだ6日間の模様を、自分への備忘を目的にワリと詳述してみましたが、バリ(&ジャワ島)の自然や食べ物、文化を堪能したのはもちろんのこと、学生時代の楽しい仲間たちとの旅であったことが、何よりの宝物になりました。


まぁぶっちゃけ、酔っぱらいの戯言から始まった「次の飲み会はバリで!」を、意地になって愉快に実現させてしまうってのはやはり面白いし、旅先の端々で出てきた会話の数々は、極上の笑いと楽しさになって降り注いできました。それは、手前味噌かもしれませんが、このメンバーだから、あの学校の人々だから、ってところもあるワケで。


笑い続けて、旅を続けて、そんな生き方ができたら、職業を「旅人」にしたいワシとしては、極上の人生なのかもしれません。