コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

雑話〜私的備忘〜

内容的にアレがナニですが、まぁ記録的「日記」ってことでご容赦のほど。葬式の話とか書いてますが、湿っぽくする気はまるで無いので、お悔やみ的なアレはナニな方向で。


てことで、読み飛ばし推奨です。あくまで、独白と備忘録。















12月4日早朝に親戚が他界しまして、関係値的には「兄嫁のお祖父さん」と、一般的には遠縁に数えられるとは思いますが、兄嫁の一族とも非常に懇意にしているトモサク家的には、兄を中心として様々にお手伝いやらをさせていただいております。ので、お仕事の方もちと明日まで有休をいただいておりますがご容赦の程(仕事関係の皆さま)。


寿命87歳。大往生、と言って良いでしょう。非常に元気な方で、ここ数年こそ体の具合を悪くし床に伏せたり入院を繰り返していましたが、それまでは、釣りが大好きでフラリと行ってしまったり、病床ですら大好きだった煙草をこっそり飲んだり、元々長年に渡って会社や工場を経営してきた、戦前生まれの骨太日本人、って感じでした。最後は、兄嫁の母が中心になっての要介護生活でしたが、それでも見舞いに行けば強い目でこちらを見つめてくれたものです。


このお祖父さんとは、もちろん兄の結婚からの付き合いが濃くなっていますが、そもそもワシの通う神社で知っている人であり、その娘さん(兄嫁の母や伯母)にはワシが小さい頃から世話になっていたりもし、まぁ冒頭に書いたように、結果的に(兄の結婚で)親戚になりましたが、そもそも世話になっている相手なのです。


一番の思い出というと、ウチの家族(兄夫婦&母&ワシ)と、このお祖父さんとその彼女とで、オーストラリアはケアンズに行ったこと。当時のお祖父さんも80歳直前でしたし、ウチの母も当時60歳超えにて初の海外旅行。英語が喋れる人間は皆無。という、5日間のレジデンスでの滞在は中々に破天荒でドタバタな旅を繰り広げたものでした。そういえば、無人島ツアーに行ってみんなでシュノーケリングもしたなぁ……とにかく、パワフルなのです!


とはいえ、そんなパワフルな方でも、棺に入ってしまえば小さいもの。死化粧をされ、病に伏せっていた時よりははるかに血色の良い若々しい頃の顔に戻ってはいましたが、やはり、往年の威勢を知っている身には、なんとも言えない寂しさを感じます。


通う神社の先生でもありますので、通夜祭、神葬祭と、いわゆる神式(神道式)での葬列。ちょっと話はずれますが、自分自身が神道の信仰をもっているせいかもしれませんけど、やはり葬式やるなら仏式より神式だなぁ、と思うのです。まぁ、神社によって多少の違いはあるんでしょうけど(他の神社の神葬祭を見たこと無いので比較はできないのですが……)。


正直、お経の内容ってよく分かっていませんし、それを二〜三十分も聞いていると眠くなることもあるのですが、神式は「お祓い」と「のりと」が中心で、お祓いは目の覚めるような威勢がありますし、「のりと」は平易な言葉で書かれ、読み上げられるので、何言っているかよく分かる。もちろん、仏式を否定する気はさらさら無いですが、故人の好きだったもの、好きだったことが紹介され、さらに好きだった音楽も流したりというのが、偲ぶ場には相応しいな、と感じるのです。


そういえば神社の関連で言えば、このお祖父さんと、今年の頭に見送った、ワシの名付け親にして通う神社の一番偉い人は、同じ年で仲も良かったんでした。同じ年に逝ってしまうほどに仲の良さを見せつけなくても良いとは思うのですが、まぁこれも興。


兄嫁の母は、お祖父さん(義母にとっては父ですな)の面倒を具合が悪くなってから死に目までの長きに渡ってずっと見てきまして、故に今回も喪主を務め、故に出棺でもずっとずっと名残り惜しげに枕元で声をかけていました。そして、火葬場では炉に入ったところで、まさに糸が切れたかのように泣きつつ足下が崩れ落ちてしまい、思いの強さを感じました。


以前もいつぞやに書いたかもしれませんが、人の死が哀しいのは、亡くなった方と会えなくなるのももちろんなのですが、大事な人を亡くして哀しむ人を見るのが哀しいからだと思います。今回は特にそれが、ワシも父を(10年以上前ですが)亡くしているせいもあるかもですが、実感しました。


収骨。その最後は係の方が箒とちりとりで細かい骨、砕けた粉末状のものを集めますが、いつもいつも思うのは、自分の最期ってのもちりとりで集められちゃうんだな、という現実。それは仕方ないことですしそのころには文句も言えなくなっているんですけど、なんというか、普段基本的に人生&死の後までポジティブに考えているワシの、ちょっと引っかかるところだったりします。





なんか色々と書き散らしてしまいましたが、現世でいただいたご縁、機会があれば来世的な何かでも、またお会いできますように、と信心深いフリをして筆を置きたい……もとい、キーボードの指を離したいと思います。