コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

現象から存在へ

超今更ですが、3月9日にZepp Tokyoで開かれた、初音ミク初のソロコンサート「ミクの日感謝祭」の感想など。
http://miku.sega.jp/39/


や、某ncnc生放送で中継をさせていただいた要件で会場に居たのですが、まぁ現場仕事はありませんでしたので、諸々ご挨拶をしつつ本番中は関係者席から拝見し、いろいろ仕事を超えて感慨に耽っていました。


まぁそれも、ほぼひと月が経ってほぼ忘れているわけですが。


覚えていることでちぃと感想的なものを書いておきたいなぁと。





【現象から存在へ】
もう、ライブの間中ずっと思っていたのがこのワード、ライブ会場では初音ミクが「現象から存在に」なりました。


これまで初音ミクは、言うても「ヴァーチャル」の存在で、歌を歌わせることはもちろん、動画やイラストでそのキャラクターに対するリスペクトなり愛情なりはそそがれてきました。


ただ、それはあくまで「初音ミク」という現象という認識で、少なくともワシはいましたし、基本的にはモニターの中、PCの中で起こっていることで、立体造形になったとしてもそれは現象の延長に過ぎないと感じていました。


ですが、この会場で、スクリーンに映し出されたものとは言え3Dでステージ上を跳ね回り、お客さんを熱狂的に魅了するその姿を見て、ああ、初音ミクは遂に「存在」するものになったんだな、と思ったんですね。


や、いうてもこれだってヴァーチャルなものですし、現象の延長であることは分かっているんですけど、初音ミクそのものよりも、そこに声援を送るお客さんを見てこそ、初音ミクが「存在」になったことを強く感じたんですよね。


や、なんかサイバーパンクっぽい話で恐縮なんですけど、対象が存在するものなのか非存在なのかを決めるのは、対象が実際にそのどちらかであるという事実よりも、その対象を認識する人々の脳が決めるものなのかな、と。ホント、まるでありがちなSFのプロットみたいですけど、それを現実世界で感じたことが、ワシにとってはすごく大きいことでした。


そして、寒気がしたわけです。


現実と非現実、存在と非存在、リアルとヴァーチャル、言い方は何でも良いんですけど、その境界線が曖昧になった世界というのは、過去数多の物語で語られてきました。そこで感じた恐怖感なり畏敬の念なりを、現実世界で目の当たりにしている、という経験に寒気がしました。


それは恐らく、歓喜であり恐怖。


この感覚を味わえたことは、仕事であることを超えてワシにとっては喜ばしいことでした。それが今後のワシに、どのように影響するかは分かりませんが。





【完璧なアイドル】
でありながら、もう一つ感じたこと。それは、やはりワシは二次元、というかゲームや物語の中の異性を(ヴァーチャルにであっても)、いわゆる現実世界で人を好くように愛せない理由です(三次元で人を「愛しているか/愛していたことがあるか」と言われるとそれはそれで心許ないですが)。


や、それこそ些細なことですけど、この初音ミクは完璧なアイドルなんです。ダンスをとちることも、歌唱で噛むこともない。衣装は早替えというレベルを超えた瞬時変化。


そう、どんなに「存在」しようとも、これはあくまで物語、あるいは違う世界の中なんですよね。ここまでリアル(に近い形)に存在しようともそこには厳然たる壁があって、少なくともワシはそこを超えることはないな、というのをつくづく感じました。


いや、超える必要も無いんですけどね。


だけど、そこを超える人はいると思いますし、今回の初音ミクの「存在」を目の当たりにすると、この先に出てくるのはいわゆる「セクサロイド」とかだったりするのかな……なんてことにも思いが至りました。





【ミクと過ごした1年半】
もう一つ、これは完全に仕事的な思考なんですけど。


ワシは、某ncnc動画の広報を、立ち上げ時から昨年1月まで担当してきまして、その後半の1年半は初音ミクというコンテンツとは無縁ではありませんでした。


nc動に投稿され急激に人気が出たミク。でも、投稿が始まっていた頃はまだその存在に気付かず、「ねこ鍋」とかをPRしていたりもしたんですが、年末に向けて大きなうねりが起こり始めて、ワシ的なミクのターニングポイントは(それまでにも幾つかありましたが)「メルト」という曲の投稿だったかな、と思っています。(みっくみくも、違う意味でブレイクスルーに寄与したコンテンツですが)


それからまぁいろんなことがありましたが、その1年半はやはり長く、濃く、そしてロングテールではないむしろ膨らみ続けるコンテンツとして、ミクを見続けてきました。ワシ自身がその成長に何か寄与したわけではないですが、何らかの形で関わり続け(今も、生放送のコンテンツとして)、それがこの日のようなことを迎えたことは、なんか、妙なこそばゆさを感じます。





まぁなんかまとまってませんが、記憶も薄れきる前に雑感でした。