コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

せかいのさいわい

先日、フロリダ絡みで書きたい日記を幾つかあげましたが、そのもっとも優先順位の低いものから書いているアレ。しかもフロリダ関係ない。


いや、シャトル打ち上げや旅記は、写真も使うんで結構時間食いそうなんですが、こいつはメモってあるものをリライトするだけなんで……って、別にそんな説明も不必要ではございますが。


てことで本題。





日本時間の2日21時頃、飛行機の窓を開けると吸い込まれるような漆黒の闇……というワケでもなく、闇と闇に挟まれた空平線(そんな言葉はないけど)が、仄かに白とも灰色ともつかないグラデーションで鈍く光っていました。


つと下を見やると、仄かな黒の中にちょうど数キロ四方くらいのオレンジの光点。どこかの島か、大陸の街かは分からないですが、そこには誰かが住んでいます。どこの国かも分からない、誰かが住んでいます。


ふとiPodを取り出して、普段からヘビロテで聞いている2曲を視聴。「Planetes」(アニメ「プラネテス」最終回ED)と「Praan」(Where the Hell is Matt 2008のBGM)。闇を、光点を見ながら耳に音楽を流し込みます。


ワシは世界平和とやらのために何の努力も活動もしていませんが、漠然とした「世界平和」というものは、ワリと本気で祈っています。もう少し具体的にするなら、全人類の幸福、でしょうか。


その為に、国なり社会なりが何らかの阻害になるのなら、そんな枠組みはいらない、あるいはよりよいものに再構築してしまえば良いとも思っています。


別にアナーキストではなく、国家なり、あるいは民主主義なんてものも、平和なり幸福なりの手段であり方便なんだから、それによって不利益を蒙っている人類がいるなら、よりよい暮らし方、やり方があるんじゃないか、ってことです。


まぁ、まだワシの認識では「全人類の幸せ」であって、他の動植物や人類外、地球外の生命体の幸せは、ワシが祈るには認識がしきれませんが(まぁフツーそうだとは思いますが)。


あの光点の中に住む人々と、空平線の仄暗く鈍い明かりの向こうに生きている何億人もの人々と、みんなが楽しく暮らせる世の中ってなんなんだろう。そんな他愛もなく、漠然としたことをふと真剣に思う機上。


「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治


「ひとりひとり宇宙のひとかけ。名も無き星それぞれにどんな夢が。未知へ続く扉の向こう、その先には明日が黙って待っている。」「ひとつひとつ命あるもの。鳥も花も大地も人も、すべて。巡り巡る連鎖の果てで、国境(ライン)のない幸せを分かち合う日まで」(Planetes)