コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

言葉の森

先週の日曜日は、大学時代の友人の結婚パーティ。


……の前に昼間、現友人の元カノと打ち合わせ。うん、関係性だけ書くと妙な勘繰りが発生しそうですが(誰もしねぇか)、今、彼女がある活動をしようとしていて、そのアドバイザー的な感じで相談に乗っているのです。たいして役に立っている気はしませんが、話して、問題点を洗い出して、次のアクションプランを提示しているので、まぁプロジェクト進行の整理くらいは出来ているようです。


打ち合わせの終わった後、子持ちの彼女から滔々と「子供はいた方が良いよ(結婚はしなくても良いけど)」的な主旨で諭されて、結婚願望0、自分の子供という存在になんら現実感を覚えないワシとしては、一応、しゃちほこ張った反論、というよりは対論主張を試みてみます。ま、向こうもワシの性格を知っているので本気で諭しているのではなく、違う価値観の会話のプロセスを楽しんでいる感ですが。


夕方からは結婚パーティ。映像系&ネット系の仕事をしている友人ですので(大学の出自も放送学科ですし)、やはり映像には拘りがあるようで、さらには世界の友人とスカイプで繋いでのご祝辞タイム。いやはや、自分もライブストリーミングの仕事をしているのでこの演出自体が意外なワケではないですが、すごい時代になったものだな、という感はひとしきり。


でまぁ、パーティーでは文芸学科出身の同輩&後輩4人ほどで固まっていたのですが、パーティー終わりで「よーし、文芸、二次会行くぞ!」ともうひと飲み。一番家が遠いワシの終電まで、恵比寿のバーで話し尽くしました。


このメンバーに限ったことではないですが、文芸学科出身者と話すときって、本当に楽なんです。例えば昼の友人もそう。日芸の文芸学科は、基本的にはまがりなりにも「言葉を操るプロ」を志して大学に入ってきた人が大半ですから、語彙が豊富だし言葉を使った表現力が豊富、そしてそれを受け取るアンテナも幅広い。


なんだろう、言葉の森に迷い込んだような感覚なんですよね。


「言葉の森」に「迷い込む」ってよく分からない表現とは思いますが、感覚的な説明をしますと、そこかしこに文章という大樹と言葉という枝葉が繁った中、どれを選択するも自由、選び取った表現を携えて森の中を探険していくような……まぁそんな感じです。


ホントに、話している内容自体は他愛ないものです。大学時代から現在まで、基本的には違うコミュニティに属してきたそれぞれの生活や、あいつどうしているんだろうねトーク、そしてもちろんのように恋バナ。それでもそれぞれがドラマチックに語りそれに鋭いレシーブを返すことで、まるでジャズミュージシャンがステージでアドリブのセッションをしているような、そんな心地好い「言葉の快楽」を味わえるんです。


森の喩えに戻るならば、それぞれが好きな言葉を携えて声のする方に集まってきたら、急に森が開けて明るい日差しの中で各々が出会い、言葉を奏でるような……うーん、分かりにくくなったな。


まぁなんだ、その言葉の森を探険する楽しさを存分に味わえる会話は、本当に楽しいものだな、ってことを言いたかったわけです、はい。少なくともワシに限っては、表現力が貧弱であることがこのテキストで露呈されてしまいましたが。笑。