コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

物より物語

3月5日に運行開始される東北新幹線「はやぶさ」と、3月12日に運行開始される山陽・九州新幹線「みずほ」の、一番列車の指定席券がそれぞれ40秒(731席分)、15秒(306席分)で完売したとか。まぁ、旅鉄的には分からないでもない。特に「はやぶさ」のグランクラスは乗ってみたいし……無駄に青森でもいくか。


しかしまぁ、往年のブルートレインの名称が最新の新幹線の名前になっているのを見るのは、なんとも不思議なような、嬉しいような、哀しみもあるような。鉄道に限りませんが、大事なのは名前よりも列車そのものであり、その旅の風景なのかもしれませんが。



というマクラもちょっと繋がるかもしれない本題。


ある方の日記で、北海道で行われていた小惑星探査機の方の「はやぶさ」に関する展示、その展示方法がちょっと残念だった的なことを書かれていまして。


世間の「はやぶさ」人気はまだ続いているようで、展示はかなりの行列だったらしいのですが、「はやぶさ」そのものや置かれている物についての説明が余りなく、極端に言えば「ポンと物だけが置いてある」状態だったようです。説明パネルなども展示室の手前に掲げられていたようですが、混雑でゆっくり見る間も無いとか。


その方も危惧していましたが、これでは「はやぶさ」の知識があることが前提の展示であって、ライトユーザーというか、話題になっているから見に行ってみようか、という人にとっては拍子抜けの内容になってしまうでしょう。せっかくここから宇宙の、あるいは宇宙行政に興味を持てるチャンスなのに、とってももったいない。


これは企画者というか、学芸員なのかのサボタージュと思います。来た人にきちんと「知ってもらうこと」、その何らかのメッセージを伝えきれない展示って、まぁやはり残念なことに結構あっちこっちで見られる気がします。いわゆる「箱物行政」にも通じますが、「置いて、作って、終了」のような。


「この『物』には、どのような意味があり、どのようなドラマがあったか」


その背景をきちんと理解できるパネルなり説明員なり、そういうのが必要なんですよね。結局どんな展示もそうですけど、「物」そのものではなく、その背後にある「物語」に、人は心動かされるものですからね。


はやぶさ」の外部模型ならまだしも、その中のカプセルやパーツなんてそれだけ置かれていてもなんだかまったく分からない。でも例えば、ニコ動やNASAや和歌山大学が撮影していた、はやぶさが地球にリエントリーした時の映像、そう、あの燃え尽きていく羽を広げた不死鳥のような映像を見せるだけでも、全然意味合いは違ってきます。


ここにあるのは、そこで燃え尽きた物と、そこから帰還した物。それを知った時、「物」は「物語」になります。


自分自身も、系統は違えど企画者として「伝えられない」企画はしないように注意したいと思いますし、世の中の展示にもそういったところは気をつけて欲しいところです。