コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

超会議

ニコニコ超会議が終わりました。


超会議がなんぞや、ってのは、メディアでもかなり、準備から結果まで取り上げられていますし、あるいは著名人や個人のブログ他ソーシャルメディアでも無数に話題に上ってましたから、ここでは恐縮ながら割愛させていただきまして、ここはワシのテキスト(日記)ですから、例によってまとまりは無いしtwitterからのまとめなおしですが、卑近なことでも書こうかと。



今回ワシは、「事務局長」などという、名前だけはたいそうな肩書きとなり、管掌役員である統括プロデューサーの下、現場の統括責任者的な業務を行っておりました。


実際、運営マニュアルとかで、現場のなんかの最終責任者や最終決裁者のところに自分の名前が載っているってのは、ぞっとしないもんですね。ワリと、ドキドキするものです。もしかして、これが恋?(違)


とはいえ、プロジェクトに入ったのはワリと最近で、忘れもしない昨年の12月12日。その日の昼までは生放送のプロデューサーをやっていたのですが、その日突然、生放送の仕事を全部剥がして、超会議のプロジェクトに責任者的に入るようお達しがあって、急遽、いろいろと取り組み始めたのでした。


今の勤務先に入って、社内では比較的イベントを得手としていたこともあって、例えば宣伝の部署にいたころはゲームショウとかを担当していたり販促イベントをやったり、あるいはニコニコ動画のPR担当になってからは、ニコニコ大会議なるイベントの立ち上げもやってました。


しかし、今回の立ち上げは規模が違いすぎた。


時間的には、生放送のプロデューサーをしているころより比較的楽になったのですが、手探り感と重圧感は比較にならないほど深く重くて、しかも関わっている人数も多いから情報の把握だけで一苦労。自分自身は、物事の振り分けやネゴシエーションがメインになって、手を動かすのは他の人、なんてことが間々生じたものですから、その「それぞれの成果への実感が無い」加減も、それに拍車をかけました。


まさに、年初に、通う神社のおみくじさんで言われた『「自分のやっていることはこれで良いんだろうか」「実態が無いんじゃないだろうか」』という感覚。だけれども、同時に『頼られるし、リーダーシップも取れるし、人望も付いてくるし、何をやっても上手くいくよ』とも言われていました。


なるほど、結果をなぞらえているのかもしれませんが、確かにその感覚。



で、てんやわんやの中で、大勢の人たちと絡みながら、最終的にはグループ社員ほぼ全員(数十人の会を10回くらいやってあわせて6〜700人)に対してプレゼンしたりもして、当日も朝礼で、バイトの人もあわせて1000人超の前で挨拶とか連絡事項とか。身内ばかりとは言え、それなりにガクブルもします。


そんで始まってみれば。


や、正直ね、始まる瞬間まで「このイベントはどうなるのか」が、ほとんど予測つかなかったんですよ。なにせ、規模で言っても、幕張メッセのホール1〜8を借り切るなんてゲームショウやモーターショウクラス、さらにイベントホールまで足したものを、出展企業もあるとはいえ実質一社で行ってるワケです。況んや、先の他のイベントは数十社でやってるものですからね。


ところが開幕して数十分が経って分かりました。このイベントのコンセプトは、「ニコニコ動画を地上に(ほとんど)すべて再現」でしたが、まさに他に形容しようが無いカオスっぷりにして、賑わいっぷり。


例えば、場内ある一点に立って360度回転してみれば、きゃりーぱみゅぱみゅちゃんのステージに地獄のミサワ氏が絡み、横では津田大介氏や田原総一朗氏が討論し、その先で静かに囲碁・将棋が打たれ、フードコートではニコニコっぽいメニューが供され、横で動画の作り方講座が開かれ、さらには浅倉大介氏や松武秀樹氏らと演奏セッションできるブースがある中を、枝野経済産業省大臣が視察する、と(時間軸は無視してます)。


ホント、カオス。


そんでまた、どうやら来てくださった方々の滞在時間が長い!自分の興味あるものから見始めて、オススメ動画やタグから、気付けば違うジャンルを見て長時間が過ぎている……これも、とてもニコニコらしい現象でした。


本当に、ご来場者さんたちが入ってそれぞれのブースに参加して、初めて完成系を見たような気がして、始まるまでの不安ってこれだったんだな、ということが、結果から逆算して分かりました。


これについては運営長がすごく良いことを言っていて「超会議は【人】がコンテンツだね」と。然りで、運営は「場」を用意しただけであって、そこに参加してくださった人々、一緒に作ってくださった人々がいて完成したと思います。ただの展示や上映だけじゃない、参加して完成するコンテンツ。まさに、ニコニコ動画そのもの。



もうひとつ、印象深かったのは、社員スタッフ。今回、グループ会社含めてほとんどの社員がスタッフとして現場に立ちました。その数、先にも書きましたが6〜700人。IT系企業だから当たり前ですが、そのほとんどが普段はユーザーさんと顔を合わせるなんてことがない人達です。


その人達が、自分たちの作っているサービスを好きな人々と、フェイスtoフェイスで向き合い、その熱気を感じたのです。


これって、実はすごく大きいことだったんじゃ無いかな、と。


ワシなんかは、宣伝・広報、あるいはイベントの業務をしていたこともあって、ユーザーさんと直に接する機会は多かったですし、それは生放送のPでも然り。しかし、そうでも無いスタッフにとっては、自分たちの作っているものの「ファン」の顔が見えて、もしかしたらお話しして、想いの集積を肌に刻んだ、どんなサービスも、使っているのは結局「人」ですから、その「人」を目の当たりにしたって言うのは、今後のサービスの成長に、すごく大きな、良い影響を与えたのでは無いかな、と想います。


加えて、スタッフ同士の顔が見えたのも、良かったのかも知れません。展示ホール側、イベントが終了しバラシ進行の中、各所で各チームの、結束を感じる終礼をしてたりして、もちろんここまで全て順風満帆だったワケじゃないだろうし、いろいろ想うところのある人もいるだろうけど、その光景はすごく良かったです。



超会議、超パーティと、1日の稼働時間が15時間以上に渡るこの数日間、ワシは立場がらそのほとんどを、運営本部で過ごしました。様々なところから寄せられる様々な情報、要望、トラブル、改善案を次々に把握して対処して先回りして解決していく、そんな本番中です。


プロのイベント屋さんとやりあっているウチに、自分がIT企業社員だか、イベント屋だか、段々分からなくなってきました。結果的に、余りイベントをそのものを見られはしませんでしたが、それでも、ワシなりには堪能しました。


特に、一日目の問題点を、その日の遅くまで検証、改善案を練って臨んだ二日目。目に見えた人も肩透かしだった人もいるかもしれませんが、例えば東方シリーズの作者として有名なZUNさん(今回超会議ではビールのプロデュースなどをしていただきました)が、氏のtweetでも『超会議凄いな、色んな所が改善されて昨日と今日は別物になっている。』と仰っていただき、類似のコメントを結構拝見しました。


問題点から課題を洗いだし、ある思想の元により高いユーザビリティを求めて、可能な限りの速さで対応する。この、ネットサービスやニコニコの姿勢を、イベントと言う場でも実現でき、それを感じてもらえたのは、ワシにとってはすごく大きいことでした。



結びに、何から言えば分からないけど、とにかく、参加してくださった皆さん、出演・出展してくださった皆さん、社員・運営の皆さん、制作してくれた各社の皆さん、このプロジェクトに関わったすべての人たちに、「ありがとうございました」と申し上げたいと思います。


超会議当日も、準備期間も、思い残すことはあるし、悔しかったこともあるし、自分の未熟を感じたことなどは枚挙に暇がありません。それでも、最高のチームと最高の仕事をして、最高のユーザーさん&参加者さんたちと最高のイベントが創れた!と感じています。これくらいは、言って良いよね?





ま、燃え尽き症候群とは無縁の性格なので、もう早速翌日からは後片付けの仕事に取りかかっております。でも、よく考えたら、後片付けが終わったらワシ、社内無職だな……。



写真1枚目、展示ホールのラスト、4ホール入り口に飾られた巨大テレビちゃんモニターに向けて、1000人近くが万歳三唱とか三三七拍子とかをしてくださって、ものすごい胸熱。2枚目、バラシ中、「超会議、兵どもが、夢の跡」。3枚目、終了翌日にホテルの部屋から幕張メッセ。ここに、初開催なのに満員の人が集まり、そこに事務局長などという名前だけはたいそうな立場で関わったことを、まるで他人事のように感じました。


あれは本当に夢だったのではないかな。夢の中では早く目覚めたかったけど、目覚めてみたらもっと夢見ていたかった夢、みたいな。