コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

様々な縁結び

島根県にあります日本で最も有名な神社のひとつ、出雲大社は、この数年「平成の大遷宮」を執り行っております。まだむこう数年続きますが、ある種のメイン行事、本殿の遷宮(本殿遷座祭)が先月終わったと言うことで、奉祝行事が立て続いているところです。今年は、伊勢神宮式年遷宮の年でもありますから、遷宮の当たり年ですな(そんな言い方はしないけど)。

 

一応、神道の信仰を持ち、神主心得見習であるワシとしては、あまり所縁の無い神社とはいえやはり有名どころの有名行事には乗っかりたい……ただのミーハーな気もしますが、そんなワケで、一応奉祝行事の区切りである6月9日までに参拝できないか、と狙っておりました。

 

おりましたところ、ちょうど6月8日に大阪で打ち合わせの予定が組まれてそのまま泊まりになりそう。ならば翌日、足を伸ばして出雲まで行っちゃえば良いんじゃね?ということで、行ってみた次第。なのですが、これが実際に行程を調べてみると意外に大変で……。

 

そもそも、大阪への往復を安くあげようと、新幹線と宿泊がパックになったプランでしたので、行動の制限があるなかでの計画。伊丹から出雲を飛行機で行くことも考えましたが、空席が無かったり、若干高かったり、ということを踏まえると、(宿泊してた)京都から新幹線で1時間かけて岡山、そこで乗り換えて特急「やくも」で3時間掛けて出雲へ、というのを往復で行くのが最も効率的と出ました。

 

……東京から飛行機で往復する方が早くね?

 

さておき、この日までに行きたい希望でしたので、往復8時間の鉄道旅を決意。さらに復路は、そのまま京都から東京までさらに2時間ちょい新幹線に乗るという、まさに鉄道移動メインの旅。ま、ワシは全然苦にならない程度の旅鉄ですがね。

 

 

往復の行程は決めましたが、現地での動きはまるでノープラン。出雲大社にお参りして、出雲蕎麦でも食うか、くらいで、大した下調べもせずに7時ちょい前に京都を出る新幹線に乗って、岡山へ。10分も無い乗換時間で朝食の弁当を買いますが、まだ品が揃っていなくて、一応瀬戸内のものを使った幕の内に落ち着きます。

 

特急「やくも」は、伯備線と言われる中国山地を縦断する路線をひた走ります。中国地方を南北に抜けようとするとこの線が最も早く列車数も多いので、ワシももう、何度目かの乗車。岡山県側では高梨川が、鳥取県川では日野川が車窓の左右に見え、あるいは大山を望み、倉敷に近いあたりでは、白い屋根や蔵造りっぽい白壁の家も多く、中々に風光明媚です。

 

出雲市駅に着いたのはもう11時過ぎ。ワシにとっては11年ぶり2度目の出雲です。駅前がそんなに変わった印象はなく、さすがに観光客は増えてますし若い女性が多い気もしますが気になるほどでもありません。出雲大社まではバスか一畑電鉄がありますが、タイミングの良かった一畑電鉄で移動。辿り着いた出雲大社前駅も、11年前の記憶と変わっていません。

 

 

f:id:tomosaku:20130614101858j:plain

出雲大社前駅に停まる一畑電鉄

 

 

記憶と変わっていたのは駅前の参道。道路は元より、建物も新しいものが増え、そんな中に古めかしいものも幾つか混じっていますが、全体的に「リニューアル」した感。まぁこれは、遷宮という行事、常若の指向を思えば、ある意味で必然。出雲全体が「若返り」を図っているかのようでした。

 

f:id:tomosaku:20130614102100j:plain

 

参道から鳥居、そして神社でも珍しいとされる「下り参道」へと進んでいきます。袖擦れ合うほどではないにしろ、行き交う参拝客は多く、手水舎にも行列が出来るほど。逆に、いわゆる神聖だったり静謐とした空気感は皆無ですが、まぁこれも神社の側面、祭りの時は賑やかに、ですな。

 

もちろん、拝殿も行列。普段ならそれだけで辟易としてしまうワシも、折角来たのにご挨拶しないで帰るなんてありえません。それでも、10分もしないでお参りできまして、ふと奥を見れば、遷宮したばかりの本殿へ特別に入場可能とのことでこちらはさらなる行列。でも、ちょっと覗いてみたら、本殿前のところでお参りが出来るだけのようで、拝殿でお参りするのと大差ないな、とこちらは回避。

 

f:id:tomosaku:20130614102012j:plain

拝殿の行列

 

本殿に近付きたいのは確かなので、囲いの横を抜けてその裏へ。高床式の神殿は記憶にある偉容を誇り、シンプルながら美しい造形で佇んでいました。

 

f:id:tomosaku:20130614102026j:plain

本殿を、裏手から

 

さらに、神楽殿の方へも周りますが、「あ、こっちの注連縄か!」と思わず独りごちます。そう、拝殿の注連縄を見た時、いや、これはこれで大きいけど、ワシの記憶の注連縄はもっと巨大だったなぁ……と思っていたのですが、記憶の注連縄は神楽殿のそれでした。いやぁ、うっかり。

 

f:id:tomosaku:20130614102127j:plain

神楽殿

 

参道に戻りまして、奉祝行事期間中に作られているのであろう巨大テントのステージで行われていた奉納神楽を拝見。この時間帯は石見神楽をやっていまして、ちょうど石見神楽に興味を持ち始めていたワシには良いタイミング。奉納神楽なのに剣舞があるのか、と配られたストーリー解説を読めば、なんでも八岐大蛇退治をモチーフにしているようで得心。

 

f:id:tomosaku:20130614102153j:plain

石見神楽

 

 

さて、お参りのあとは煩悩タイム。

 

大鳥居(正門)の目の前にある「ご縁横丁」というところを冷やかしてみれば、いきなり目に入ったのが「島根牛サーロインのおむすび」。えんむすびや、なるおにぎり屋の商品ですが、これは食わないわけにはいかない、と購入。肉は柔らかくジューシーでしたが、ご飯が味は良いのに崩れやすく食べにくかったのと、1個600円はちょいとコスパに難ありかも。でも食うけどね!

 

f:id:tomosaku:20130614102212j:plain

島根牛サーロインステーキおむすび

 

出雲蕎麦でちゃんとしたランチを食べたいなぁ、と思い街中を歩きますが、時はちょうどお昼時でどの店もだいたい行列。あんまり時間も無いものですから、えぇいままよと路地を一本入ってみれば、蒸した箱詰め寿司「むし寿し」なるものが食べられて出雲蕎麦も置いてある「やくも寿し」なる店を発見。寿司も蕎麦も出す、となると、どちらも中途半端じゃないか、と不安になりますが、時間も無いし美味いもんセンサーも反応してるし、君に決めた!

 

で、こちらのお店が当たり。残念ながら「むし寿し」は時間が掛かるというので諦めましたが、「さば棒寿司」は鯖の旨味が凝縮されて程よい酸味と甘みの酢飯とマッチ、「出雲蕎麦」は下手な専門店よりよっぽど蕎麦の打ち方、ツユの味ともに良、握りも良いネタとやはり絶妙なシャリで、とかく食べるもの皆美味かった。

 

f:id:tomosaku:20130614102237j:plain

f:id:tomosaku:20130614102244j:plain

さば棒寿司と、出雲蕎麦の代表的な食べ方、割子そば 

 

美味さについ調子にのって冷酒を頼んでみましたが、出てきた「旭日」なる出雲の地酒純米酒が、またこってりとした深い味わいで、精米歩合を見てみれば70%と、納得。さっぱり好きの人には厳しいかもしれませんが、西日本特有の「甘い醤油」の料理に負けない、力強さを持ったお酒でした。

 

軽く酔いつつお土産を物色して、今度はバスで出雲市駅へ。時は間もなく15時。出雲界隈滞在可能時間はあと1時間半程度ですが、ここで急遽、松江に移動してもう一つ神社を参拝することにします。

 

 

ワシは、縁結びには興味が無く、「パワースポット」なる響きには馴染めないので、今回も単なる神主心得見習として信心の趣くままに参拝に行ったというだけですが、大阪打ち合わせから一緒に行った友人はそのどちらにも興味があるようで、目指すは松江にあります「八重垣神社」。

 

ちょっと時間を読み間違えましたので、各駅停車で松江に向かい、そこからはタクシーで神社までを往復。運ちゃんと簡単な交渉をして少しだけ安上がりにすることに成功しましたが、後にして思えば、払うべきものはきっちり払って気持ちよく参拝する方が、こっちも気が楽だな、とまぁ、これは閑話休題。

 

さてその八重垣神社。縁結びではある意味、出雲大社以上に業界内では有名らしく、いやどこの業界だか知るよしもありませんが、なるほど、小さい社ながら賑やかで、特に若い女性の参拝者が多いです。賑やかな原因の一端は、響いてくる馴染みのない鳴り物のリズム。やたらノリの良いリズムでおよそよく神社で聞く雅楽っぽい音楽ではありません。

 

f:id:tomosaku:20130614102406j:plain

八重垣神社の拝殿

 

後で宮司さんに聞いてみれば「出雲楽」(いずもがく)という、この土地特有のものらしく、調子が良いのが特徴だとか。なるほど、と一人得心したのですが、きっと「音の調子が良い(ノリの良いリズム)」であることが、「人として調子が良くなるように」っていう願掛けの掛詞じゃないかな、と妄想を膨らませます。確認はしませんでしたが。

 

さておき。ここのアトラクション(とは言わないか)とも言えるのが、本殿裏にある「鏡の池」というところに硬貨を載せた薄紙を浮かべて、沈むまでの時間で縁事への遅早を、水辺からの距離で縁ある人の遠近を占う、というもの。縁結びに興味のないワシも、こういうのは好きですから、早速やってみることに!

 

社務所で買った薄紙を持って池へ。途中、古代結婚式発祥の地という看板もあり、後で調べたら、八岐大蛇を退治した素戔嗚尊(すさのをのみこと)と、それによって生け贄から逃れ彼と結婚した稲田姫命(いなたひめのみこと)とが縁事を結んだところのようです。なるほど、だから縁結びの社なのね。

 

さて、鏡の池。やはり若い女性が中心ですが、オマエもういらんだろうというおじさまとかもやっていて、単純に面白みのあるものですが、さてではワシは、と浮かべる前に、先にやった友人が、浮かべて硬貨を載せた瞬間に沈んでいって、オマエそれで縁が無かったら詐欺も良いところだぞとツッコミたい。

 

f:id:tomosaku:20130614102335j:plain

鏡の池で縁結びの占いに興じる参拝者

 

と、かくいうワシも結果、1分ちょっとでさっさと沈んでいきました。20分以上かかることもあるらしく、先に来ていた人々が中々沈まずわいのわいのやっている横で、縁結びに興味ないワシが、なんというかなんか罪悪感が。ちなみに、薄紙は水に浮かぶと文字が出てきて、それも占いの言葉になっています。ワシのに出ていた言葉は、

f:id:tomosaku:20130609162220j:plain

「やさしい人をさずかる 東と北 吉」

かな(下の方の紙)。消えゆくメッセージでしたが、まぁ、優しい方とご縁があればありがたい限り。しかし、東と北ねぇ……ざっくりだねぇ。。。

 

松江駅に戻り、再び特急やくもで岡山へ、新幹線で、切符の関係上一旦京都で乗り換えつつ東京へ。丸一日、現地滞在4時間半ながら、中々に臨機応変且つ充実の旅回りとなりました。

 

 

出雲大社のサイトに、こう書かれています。

-----

この「縁結び」ということは、単に男女の仲を結ぶことだけでなく、人間が立派に生長するように、社会が明るく楽しいものであるように、すべてのものが幸福であるようにと、お互いの発展のためのつながりが結ばれることです。

-----

うん、それはすごく分かる。ワシは、むしろ今の出雲大社の縁結び推しには戸惑いを感じるし、祭られている神様も戸惑っているのではないかしらと思うほどですが、この「縁」を「結ぶ」心根は共感できる。いや、だからといって「男女の縁結び」を軽んじる気は無いのですが、そこだけがクローズアップされるのも違和感なのです。

 

ワシは、「縁」というのは「円」、すなわちお金と通じるところがあると習っています。「金の切れ目が縁の切れ目」なんてのはそれを象徴する故事成語でしょう。同様に、「金は天下の回りもの」であるように、縁もきっと天下の回りもの、待てば良いものではないですが、巡ってくるのを楽しみにするのも、良いものかもしれませんね。


▼ 

他の写真にもご興味の方はこちら→出雲大社-平成の大遷宮奉祝参拝