コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

夢の王国に、驚喜

映画「夢と狂気の王国」を見て参りました。

ものすごく率直に言ってしまうと「ここまで良いとは思わなかった!」。

や、一応この作品の公開が発表された時にですね、「お、砂田麻美監督で、音楽が高木正勝さんか。これは期待できそうだ」と思いつつもですね、内容的に「これは映画になるんだろうか」という思いもあったワケですよ、ぶっちゃけ。

百聞は一見に如かず。なるほど、「ジブリを映画にしたい」と監督が言ったようですが、確かにドキュメンタリーでは無い、でもこれが映画なのかも、ワシには分からない、というかピンとこない。ひとつだけ確かなのは、出てくる人たちがとても魅力的であると言うこと。

ということで感想をつらつら書き連ねます。ネタバレを気にするような類いの映画では無いですが、一応配慮しつつ、でも鑑賞予定で先入観を持ちたくない方はこの先は読まれない方がよろしいかと思います。

さて。

物語の多くは、宮崎駿という稀代のアニメ監督と、鈴木敏夫というその手綱師を中心に語られます。もうひとりの主人公、高畑勲監督のことも多く触れられますし、他のスタッフ、宮崎吾朗監督や日テレの西村プロデューサーなども出てきます。特に最初の二人の、そして他の人たちも、それぞれが持つ感情が、思いが、意志が、見ているこっちに直にぶつかってきます。

彼らの話を引き出しているのは砂田監督。ただ、使われているところだけを切り出すと、決して彼女は手練れのインタビュアーではありません。それでも出演者達のこの「声」を引き出しているというのは、彼らの中に入り込んだ証なのか、恐らく何十、もしかしたら何百時間も回し続けたカメラの中に落ちていた金の粒をかき集めた結果なのか、ともかくそれを切り出した監督の腕に敬服です。

やはりというか、宮崎監督や鈴木Pの言葉は、いちいち胸に刺さってきます。それは、彼らの業績を知った上での属人的な先入観もあるかもしれません。「この人の言うことなら玉言に違いない」という思い込みですね。でも、それを廃したとしても、率直に語られる彼らの姿勢や彼ら自身の物語は、創り続けてきた人たちが達する境地を垣間見せてくれます。

何より「悟りにも近い諦め」が伝わってきます。本当なら「諦めにも似た悟り」というべきなのかもしれませんが、ワシが感じたのは前者の言い回しの感覚でした。何故なら、彼らは悟りなんて必要としていないからです。恐らく彼らが“達してしまった場所”とはある種の諦観であり、それが悟りのように受け手には感じてしまうのかな、という感覚。

映画を作りながら段階的に、あるいは日ごとに変わっていく衝動だったり情熱だったり諦観だったり、そんな彼らの言葉はきっと、物語や作品を創ったことのある人ならどこかにシンパシーを感じると思います。自分の中のもやもやを言葉にされたような。それを正しいと感じるかどうかは人それぞれでしょうが、苦笑いしながらも「そうだよね、宮崎監督ですらそうなんだよね」という、ある種の共感めいたものでもあります。

だからそれは、これからも物語や作品を創っていこうと思っている人にとって、励みなのか反面教師なのかは人それぞれでしょうが、ひとつのブーストになるのは確かだと思います。少なくとも、ワシにはそうでした。

そう、幾つかも印象的な場面がありましたが、特に引退会見直前に会見場のあるホテルの窓から外を眺めて語った言葉と映像は圧巻。それにぞくっとしてしまい、忘れられないカットになりました。やはり最初に思った、砂田監督と高木正勝さんの音楽は、すごかった。

そんなこんなで、繰り返しになりますが自分でも見る前ならまさかと思うほど、スクリーンに釘付けになってしまったのです。夢を作り出している人々に触れられた、驚喜。

……いやね、実際勤務先が制作をしているものですからこんなこと書いているんじゃないの、なんて穿った見方をされるかも知れませんが、ワシ自身がこのプロジェクトに関わっておらず、ワシは映画や小説なんかの感想で太鼓持ちができるような人間では無いので(イマイチなら黙っているいるだけなので)、これは心根、いち映画好きの率直な感想です。

なんか、数日前に見た「かぐや姫の物語」よりも詳細な、というか冗長な感想になってしまいましたが、あちらはネタバレを気にして書いているので、まぁこの冗長さもご容赦ください。感銘を受けた証です。