コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

議論の空気

昨夜帰宅した時、録画してた番組でも消化しようかと点けたテレビでやっていたのが、Eテレの「グラン・ジュテ〜私が跳んだ日」。様々な分野で活躍する女性たちを追うドキュメンタリーで、そんな彼女たちの「壁を飛び越えた瞬間」を紹介します。「その時歴史が動いた」の現代版とでも言いますか。違うか。


ちなみに「グラン・ジュテ」とは、バレエ用語で「大きくジュテの動作をすること」らしいですね。「ジュテ」とは、片足を投げ出してその方向への跳躍のことで、バレエのレッスン風景なんかでよく見る跳躍の所作、の模様。


で、昨夜放映されていたのが、一本木えみこさんという美容家の方。この方は、障害のある子供にヘアメイクをして、カメラマンを連れて記念写真を撮る、という事業をしていらっしゃいます。


そんな彼女の事業や、そこに至る経緯、そして彼女の「グラン・ジュテ」は、番組サイトにテキストでよくまとまってますのでご興味の方はご高覧のほど。てかよくまとまり過ぎてて、映像必要ないんじゃ無いかと思いかねませんが、いややっぱり、映像の説得力はまた別物ですからね!

該当回のページ
http://www.nhk.or.jp/kurashi/grand/backnumber/130105.html


でまぁ、サイトにも書かれていますが、こういう事業を始めるとお約束のように出てくるのが「障害者を食い物にしている」「障害者で稼ぐとは何事だ」という、自称良識家の方々の意見。こと、ソーシャルメディアが伸張してからはそれらの意見が、(少なくともネット上では)さも「常識」であるかのように語られることも少なくありません。


でも実際、一本木さんに依頼している障害者の親御さんは、通常の写真スタジオでは断られてしまった我が子の晴れ姿を写真に収められるってんで、大変な感謝をしています。「良識家」が何を言おうと、「当事者」が幸せになっている、これが一番大切じゃないですか。


きちんと調べたわけではありませんが、これら「良識家」はたいていの場合「当事者」では無いように見受けられます。聞き心地のよい主張をすれば賛同者が得られる、故に主張をしている。全てがそうだとは言いませんが、そういう事例は枚挙に暇が無いように思えます。余談ですが、これと同様のことは「被災者のことを考えろ」なんて言葉でもよく語られますね。


障害者相手の事業については、自慰用品を開発、販売している「TENGA」の社長さんが以前語っていた理念にすごく感銘を受けていて、要約しますが「この製品は、障害者の方にも性的快楽をきちんと得て貰うために作っている。障害者だって性欲はある。でも、そこを無視して彼らを聖域化しようとしている人がいる。実際はそんなことはないし、彼らをにもきちんとした快楽を楽しんで欲しい」そんな主旨です。いわば、性のバリアフリー。

TENGAの障害者支援活動についてはこちら
http://www.tenga.co.jp/csr/support.php


また、障害者の立場からそれら「良識家」に抗しているのが、例えば乙武洋匡さん。ご自身が障害者でありながら、障害者を良くも悪くも「聖域化する」人たちに対して何度も批判を繰り返し、またtwitter上で軽妙に切り返しをし、障害者と健常者のバランス取りをしていらっしゃる、ように思えます。


そう、その両者は、どうしたって「平等」に扱うことはできません。しかしどちらかに偏った考え方や社会のあり方というのも恐らく間違っていて、そこで「バランス」という曖昧な表現になってしまうことは恐縮ですが、絶妙な、両者にとって「幸せなバランス」ってのがあると思うんです。乙武さんはそれを探り続けていらっしゃる。


とまぁ、話がとっちらかりましたが。ワシがすごく嫌なのは「議論すら許さない空気」。


これは障害者の話に限らず、先に挙げた「被災者」に関することでもよく聞きますし、長い目でなら「戦争」「軍隊」「核軍備」といった国防の問題、昨今であれば「原発」の問題もそうかもしれません。


ちょうど年初に、電力関係の方とお話しする機会がありました。彼曰く「原発を停止して火力発電で電力をまかなうことは出来るかもしれない。でもそれは、二酸化炭素排出などの空気汚染と、原油をどんどん輸入することによる貨幣流出で経済悪化も招きかねない。原発反対は良いのだが、それによるリスクもきちんと分かっているのだろうか」とのこと。


調べている人もいるでしょう。あるいは、為政者がきちんとそれを説明できていないことも問題だと思います。でもイデオロギーありきだと、ここでどうしても議論にならなくなる。今年の大河ドラマの舞台である会津藩に倣うなら、「ならぬことはならぬのです」となってしまう。もっとも、議論をしている間に汚染や事故のリスクが上がる、って見解も分かるのですが、まぁ一回テーブルには情報を並べようよ、とは思います。


……えぇと、原発議論の話はこれ以上突っ込むと完全に主旨から外れるので、あくまで一例ってことでここではご容赦ください。


戻すと。


「議論すら許さない空気」の問題に気付いている人は、例えばワシの周りではたくさんいます。それにも関わらず公人の発言に対する言質取りは何度も何度も起こりますし、世の中の空気は中々変わっていきません。それってやっぱり、一部マスコミの姿勢、そして声の大きい人(あるいは増幅できる人)が、変わらないからなんですよね。


そんな中でNHKは、今回の番組もそうですし、「障害者情報バラエティー」として「バリバラ」(バリアフリーバラエティ)なんて番組もやっています。後者は昨年4月から始まったのですが、これはすごい挑戦だな、と思ったものです。

「バリバラ」公式サイト
http://www.nhk.or.jp/baribara/
Wikipediaでの解説
http://ja.wikipedia.org/wiki/バリバラ〜障害者情報バラエティー〜


世の中の諸問題に対して、全員が議論に参加する必要は無いと思います。でも、議論を許さない空気を作るのは止めた方が良い。その中で、きちんと情報を受け取る、あるいは発信する側ならそれを誠実に行う。地道ですが、これの繰り返しを行っていくしか無いのかな、なんて思います。言葉にすると簡単なんですけど、ね。