コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

辞書を編む人たち

「編む」という言葉が好きです。まず何が良いって語感、「あむ」という、一見(一聴)舌っ足らずさをすら感じる柔らかい響き。そして意味、幾つかのものごとを取りまとめて一つにする、という行為は、同じ漢字が「編集長」などで使われるように、ワシのプロデューサー的な仕事にも繋がっている気がします。

そんな、編む人たちを取材したETV特集を見まして、これが素晴らしい番組でした。

 

辞書を編む人たち
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0426.html

「無人島に一冊だけを本を持っていくなら……」「それは辞書」という冒頭のシーンから始まり、大辞林を制作する三省堂の辞書編集部編集長を中心に、そこにインターンとして入ってきた大学院生も加わり、まるでひとつの創作品のように彼らの活動と、決断が描かれます。

ワシ自身、言葉が好きですし、幼少の一時期は辞書が愛読書と言っても過言ではなかった頃もあったので(特に「類語辞典」ははまった)、果たしてどんな人たちが辞書を作っているんだろう、という単純な興味があったワケですが……そもそも、辞書を作るということ自体がひとつの狂気の沙汰だな、ということに、これまで思い至っていませんでした。

そう、辞書を編む人たちのあの静かな情熱は、狂気というのが相応しい。もちろん、良い意味で。

大辞林の初版を作った時、28年の月日を費やしたそうです。一冊の本を作るのに28年!まずもってその執念がすごい。そして、10年に一回毎くらいに改訂版を出しているようなのですが、その間も、常に変わっていき、また新たに生まれる言葉を追い続けて行くのが、辞書編集部の方々なのです。

新聞を見ては、街を歩いて知らない言葉を見かけては、若者雑誌を開いては、そこにある言葉を見つけて、メモをして、必要に応じてその意味を付けていく。言葉ハンター、という言われ方もするようですが、そんな言葉のプロ達が見つけたそれらの言葉を、「語釈」と呼ばれる、辞書の説明文に落とし込んでいく様も静かな迫力を持っています。

説明しすぎず、ある言葉を別の言葉にて簡潔に定義する。語釈の仕事は、深くて困難でしょうけど、面白そうです。そして、辞書を好きで三省堂インターンで入ってきた筑波大学の女子大学院生が、その語釈に挑戦します。若い目線で抜き出した言葉が編集部でふるいに掛けられ、さらに100文字にも満たない語釈を書くために悪戦苦闘するさまは、これだけでひとつの成長物語として成立するくらい、ドラマティックに感じました。

番組を見終えて、関連情報を漁ろうとしたところで目にしたのが、このページ。

無人島の読みは「ムジントウ」ではなかった?「辞書を編む人たち」
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20140502/E1398991745071.html

……えぇと、お恥ずかしながら。2012年に本屋大賞を受賞した「舟を編む」が、辞書編集者をテーマにした物語であったことをここで知りました。語感だけで、てっきり時代物だと思い込んでいたんですよね……。さておき、この記事で紹介されている辞書編集者たちの悪戦苦闘を描いた本も、いずれ読んでみたいです。まずは、舟を編むから読み始めよう。

いつの間にか愛読書は辞書から数多の小説に完全移行してしまったワシは、すっかり不明な言葉を調べるのもWEBに頼るようになってしまいましたが、辞書には辞書の物語があるんだな、ということを思い知りました。今改めて、分厚い辞書を手元に置いてみたい気もしますし、一冊の本を持って無人島に行くなら、やはり辞書なのかもしれないな、なんてことを思わされました。