コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

12年ぶりの911メモリアル

2003年9月。ワシは初めてのニューヨーク(NYC)に行きました。当地(と言っても近くのデラウェア州)に留学していた友人を訪ね、その友人に連れていってもらったのですが、もう一つ明確な理由がありました。

2001年の911同時多発テロから2年。その現地を見てみたい。

再度のテロ予告もまことしやかに流れていたころ。友人や家族からは渡航そのものに反対もされましたが、当時、既にIT会社勤めをしてましたがまだジャーナリストへの憧れも持っていた26歳、世界を変えた事件の現場を、その空気を感じたい、そんな思いを持って、会社の休みを合わせてNYCに向かったのでした。

その時感じたことは、当時やっていた「自称ニュース系テキストサイト」(のページの9月19日付け)に書いておりますが、セレモニーを見て、現地を歩きながら「アメリカに対する同情、次に怒り、そして憐憫の情」を感じていた模様。青臭いテキストでお恥ずかしながら、まぁ考え的には今もそんなに変わらないかも。

そんでまぁ、この5月に「#北米大陸ぼっち横断」なる企画旅を行い、カナダ・バンクーバーからNYCまでを横断しました。NYCに来るのも12年ぶり。横断中は独り旅でしたが、NYCでは、12年前は留学で来ていましたが今はブロードウェイで音響仕事をしている友人と今回も落ち合い、一緒に遊ぶことに。

BWで芝居を見て、タイムズスクエアを巡り、セントラルパークを歩き、ゴスペルを聴き、ブルックリンブリッジを渡り、そして今回もやってきた「911メモリアル」(グラウンド・ゼロとも呼ばれますが、個人的にその呼称が好きでないので、こちらの呼び方で)。

NYCの高層建物群の中から、パッと開けたようなその場所に一歩踏み入れた時、横に広がる教会の柵を見て、12年前の記憶がくっきりと甦ってきました。

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上の写真の左手の柵、ここは12年前の追悼式典で、次の写真のように、消防士や警察官などを称えるポスターが貼られていたのです。

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連鎖的に次々と甦るその時の光景。 

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追悼式前日、近くのビルの通路から現場を見ることが出来たのですが、まだ瓦礫を搬出する作業をしていたようです。

 

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追悼式典当日(2003年9月11日)の現地。

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悼む人々。通路は報道陣と遺族の専用通路でした。

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犠牲者の名前が書かれたプレートと、献花、そして痛切なメッセージ。

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各国の報道陣の中継車が列をなします。ちょうど見かけたNHKさん。

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夜。WTCツインタワーのあった箇所から発せられた蒼い二本の光が、NYCの空に吸い込まれていっていました。

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深夜まで絶えない祈り。


それから12年、911当日ではありませんが、こんなに変わっていました。

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ツインタワーのあったところは、ビルと同じ大きさの追悼モニュメントが置かれ、犠牲者の名前が刻まれています。

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911メモリアルのミュージアムには、当時の遺構などがそのまま残ります。

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そして、落成間近だった新WTCビル。


12年という月日、事件から数えれば14年が経ちますが、瓦礫の下だった光景をかくも近代的に塗り替えました。新しいWTCビルは、ワシの行ったGWのちょっと後、5月15日から稼働を開始し、31日からは展望台にも入れるようになったようです。


干支が一回りするだけの時間を経て、ある種の節目の時期にここを訪れたことは、ワシの中の歴史への記憶の上塗りとなりました。またいずれここを訪れることがあるかもしれませんが、その時ワシは、アメリカは、世界はどうなっているんでしょうね。この地に経つと、個人レベルのことが世界のことに繋がっていくような、そんな不思議を感じる場所です。


余談ですが。2001年から書いているように、ワシは世界からテロを無くす最も有効な手段は、世界中の人々が毎日三食満足に食えるような富の再分配を行うことだと考えています(参考テキスト。さらに青臭くて顔からファイヤーボルトですな)。これの実現は不可能ではないと思っているんですけど、自分にそれだけの力も意思もないのがはがゆい。