コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

【M旅補筆・廚編】9月16日記〜さらに回顧のために

てことで、前日記の続き。変わらず長文なんで読み流し推奨。ていうか誤変換で「廚編」て。「中編」ですな。


【M旅07】http://mixi.jp/view_diary.pl?id=934850965&owner_id=65677
●この日の行き先を、由布院駅に着く頃までに決めていただくことに。選択肢が数字ばかりだと飽きるし詰まらんだろうな、と思い、「東・西・南・北」で表記してみました。ネタ的には四国に行くのが面白そうでしたが、ある意味順当に西方へ行くことに。

●ついでに誕生日であることもカミングアウト(?)しまして、皆さんの祝辞、ホントにありがとうございます。まぁ一応、誕生日をどこで迎え、どこで暮れるかってのも裏テーマだったんですが、相変わらず自分の誕生日には執着がないので、あまり表出しされない話題になりますたw

●西方に向かう前に、由布院駅前を散策しようかな、とか由布岳に登ってみようかな、とかも考えていたんですが、天候もイマイチ(山が雲を被ってる)だったり、それより島原のが面白そうだな、と思ったので、さっくりと列車に乗ることにしますた。

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雲を被る由布岳(宿「ほたる」より)


【M旅08】http://mixi.jp/view_diary.pl?id=934938996&owner_id=65677
●コメント見て「日田」駅で降りようと考えたのは、宿が素泊まりで朝飯を取っていなかったせいもありまして、でも結局食えたのはとても微妙な「むつごろう焼」。や、ジャンク品としては美味しかったですけどね。プラス、味噌と醤油の試食で朝飯ってあたり、行き当たりばったりにも程がある。後でオススメされた「想夫恋」ってヤキソバ屋は、日田に着いた頃にはやってたっぽいので、行きたかったかも。

●この時点で、島原に行こうというのは決めてたので、海路か陸路かで選択肢。まぁ、ある意味順当に海路になりました。九大本線を久留米に戻り、鹿児島本線に乗り換え。大牟田から渡るか熊本から渡るか悩みましたが、行ったことのない街ってことで大牟田で降りてみることに。

●が、ふと思い出したのは「柳川」って街でうなぎが食えるという情報。ちょっと調べてみたら……うわ、西鉄で久留米方面に戻るんじゃん!時はちょうど昼飯時、行程の無駄は分かりつつも、船の時間にも間に合いそうなので西鉄特急で大牟田〜柳川を往復することにしますた。

●入ったお店が、駅前の「古蓮」といううなぎ屋。「柳川」と聞くと「柳川鍋」を思い浮かべますが、あれはあくまで江戸前料理で、ここ福岡県柳川は柳川鍋とは関係ないみたいです。で、有名なのがウナギのせいろ。ですが敢えてここはせいろを食べず、このお店のオリジナル「古蓮丼」なる、うなぎと蓮根の丼を食べたらこれが美味いっ!

●柳川は、ウナギを食ってトンボ帰りしましたが、歴史ある街みたいなので、もう1〜2時間くらい居ても楽しめたかも。

大牟田に戻っては、バスで三池港へ。そこから島原行きの高速船に乗り込みます。良い天気です。有明海は、噂通りの泥っぽいと言うか、濁った水ですが、汚い、という感じでもなく。1時間弱の船旅は、ワシだけがずっと甲板で海や雲や陸地を見ていました。

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高速船から見た島原半島

島原外港に着いてからは、まずは今夜の宿探しを、雲仙温泉。これは選択制ではなく、自分の考えで選んじゃいました。観光協会に電話して、プラスネットの口コミとかを参考にして、二食着いて安く泊まれる「かせや旅館」( http://www.kaseya.jp/ )に。露天風呂がないのだけが残念でしたが、結果的にはそんなの気にならないほど良い宿でした。

●雲仙にバスで登る前は、島原外港でレンタサイクルを借りて周辺観光……と言っても、あまり時間がなかったので「雲仙岳災害記念館」( http://www.udmh.or.jp/ )だけ行ってみることに。港から自転車で15分くらいでしたが、その間に、土石流で被害を受けた「水無川」とかもあって、その向こうには雲仙岳があって、いろいろ身につまされます。

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水無川

●実は、雲仙普賢岳の災害……というか、あの報道って、結構ワシの中でトラウマ的になっている部分があるんです。大火砕流や土石流なんかの報道を繰り返し見ていた中学生時代。それはそれは恐ろしいものとしてインプットされていまして……ただ、同時に当時は災害全体を把握していなかったので、きちんとまとめたものを見てみたいな、と常々思ってはいたんです。で、ちょうど今回島原に渡る機が出来たので、乗じてみました。

●記念館の展示はそこそこ充実したもので、そしてトラウマ的な心の痛みを思い出すに足るものでした。いやまぁ、テレビで見てただけのヤツが「トラウマ的」とかアレがナニですが。でも、噴火を疑似体験できる巨大シアターとか、本気で恐怖感感じちゃったしな……。とにかく、この街の人たちが噴火で失ったものと得たものを忘れまい、という姿勢は、ひしひしと伝わってきました。

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火砕流で被災したテレビカメラ

●港に戻って自転車を返します。余談ですが、島原鉄道はここ「島原外港」から南の線を、今年4月に廃止したばかりだとか。時刻表に路線が乗ってないなぁ、とは思ってたんですが、原城跡などに行くのが、車でないと厳しくなったようですね(一応、バスは通ってますけど)。

●バスで雲仙温泉へ。雲仙岳を登っていく中、新しい住宅や、「島原ニュータウン」というバス停があります。ニュータウン、を作らねばならなかった災害の爪痕を感じます。バスには中高生も多く乗ってましたが、彼らは災害中に生まれたのかなぁ、とか色々思いを馳せてみたり。


【M旅09】http://mixi.jp/view_diary.pl?id=935208619&owner_id=65677
雲仙温泉に降りたって最初のひと言は「臭っ!」。硫黄泉の匂いが充満してます。湯の沸いている「雲仙地獄」を見てから旅館に入り、翌日の帰路の選択を出して……まぁ、思った通りと言いますか、さらに一泊することになりました。

●この日の宿泊客はワシだけか、もうひと組くらいだったようです。広い部屋でポツンと食事をしたのはちょっと寂しさを感じましたが、食事内容は美味しくいただきました!オマケで賄いも付けてもらい、酒のツマミにしてみたり。

●食事の後は夜の温泉街(と言っても狭いけど)を散策。夜の雲仙地獄で硫黄の煙を浴びたり、静まった街中を歩いたりしました。出かける前、宿の息子さん(小学生くらい)にサンダル借りて良い?と聞いたら、「ちょっと待ってください」と言ってわざわざ下駄を出してくれました。子供とは思えない丁寧な応対に感心。

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夜の雲仙地獄

●で、宿に戻ってきて今一度温泉(濁りと匂いの強い温泉でした。心地よかった)に入りに行ったら、その子とお父さん(宿の主人)がちょうど入っていて、お父さんは少ししたら出て行ったのですが、子供が残って30分くらい、ワシと話をしていました。

●例えば、ホッピングが得意で700回以上も出来ること。例えば、お姉ちゃんが通っていた雲仙中学がこの春に閉校になったこと。マスコミもいっぱい来てちょっとした騒ぎになっていたそうです。ワシは知りませんでしたが……。閉校時の生徒は、3年生が女子5人、2年生が男子5人、1年生が男女5人ずつという、なかなかいびつな男女比。

●ちょっと感銘を受けたのは、雲仙の子供たちは、例えば学校の委員会でやりたいものが被ったときに「譲り合う」ことを誇りにしていました。「都会の人たちはじゃんけんとかで決めるけど、そうすると後で気持ちが落ち着かない。譲り合いだから、後になってもみんな幸せ」ということを長崎弁で子供に諭されたワシは、ちょっと感心してしまいました。シンプルだけど、真理。

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子供と語り合ったかせや旅館の温泉


<続く……>