コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

最後の晩餐、水の都の夕暮れ

パケ死防止のため写真は取りあえず小さく一枚(今日の一枚は、夕日を浴びるヴェネツィアの街)。簡単且つ粗い(でも長文……)ですが、リアルタイム旅記中。


さて、イタリア旅中あるいは旅厨の小生、9月12日の出来事。サマリーは、ミラノでドゥオモと最後の晩餐を鑑賞し、街中散策&偶然の美味しいランチ。初のイタリア鉄道乗車に、水の都で夕暮れを堪能しつつ、元祖ベリーニを飲む。の巻(よく分からん)。


朝食を済ませてホテルを出たのは8時半を回ったころ。当初、9時くらいにはドゥオモに行こうと思ってたんですが、既に恐らく30分程度の遅刻。まぁそこはそれ、イタリアですからケセラセラってことで。


一旦ミラノ中央駅で大きい荷物を預けますが、まずこの駅がすごい。大きさもすごいが装飾がすごい。なんでも、第二次世界大戦前にムッソリーニの命で作られたファシズム建築の極み、らしいのですが、造形とかについ見惚れます。ただまぁ、同じ場所の右と左の時計で(しかもデジタル表記なのに!)時刻が違うのは、駅としてどうかと。さらにそこから徒歩30秒でついた場所の時計は、3分経ってたし。


今日もメトロに乗って、ついに街の象徴と言えるドゥオモへ。駅から一歩出た途端、予想通りというかその圧倒的な存在感に圧せられます。と言いつつ、ついひと月半前に、出張のついでに見てきたケルン大聖堂がやはり圧倒的でしたので、多少の免疫がついていたか呆然となるほどでもなく。


ドゥオモ内部ではミサをやっていて、見学はそこそこに。でも、恐らくミラノ大司教かなにかなのでしょう、一言一言に重みを感じます。その後は、外からエレベーターでドゥオモの天井部分へ行き、ミラノ市街を高いところから一望。景観もさることながら、やはり建物の造形が素晴らしい。


なんてことをしている間に「最後の晩餐」の鑑賞時間が近付いてきて、急いで降下&トラム(路面電車、今でも数多くの路線が走ります)乗り場に向かいますが、乗りたい方面のがちょうど目の前で発車するという惨事。メトロに降りて待っての時間も無駄そうなので、1kmちょっとを早歩きで向かうことに。事前に地図で目処はつけてたので、迷わないことを祈って移動開始。


と、三分くらい早歩いたところで、別の路線番号ながら、目的地の教会近くまでいくはずのトラムがちょうど近くの乗り場に滑り込むのに遭遇。乗りたかったトラムとの分岐点で降りられれば時間短縮になるか……と、きちんと降りられるかも不安のまま一種の賭けで飛び乗ります。地図を凝視しながら降りるタイミングを伺い、見事分岐の停車場で降りられました!さらに歩いて3分ほどで、目的の教会に到着。


サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。この旧修道院の食堂に描かれたのが、かのレオナルド・ダ・ヴィンチによる「最後の晩餐」です。見学には予約必須と言われ、日本から英語のできる人に頼んで予約し、でも取れてるか不安を持ちながら来ましたが、きちんと取れてました!よかったー。


絵画の保存のため、25人ずつ15分間の鑑賞。自分達の番が来て、食堂に入りますれば……あの絵画が、出迎えてくれました。絵の近くまで寄ってジッと凝視していたんですが、そのうち心の内から熱い情動が込み上げて来て、一瞬、涙ぐみそうになります。ワシはキリスト教徒ではありませんが、この風景の中に感じ入るものがあったようです。


そして何より。レオナルド・ダ・ヴィンチが500有余年前にこの場所に立ってこれを描いていた。その事実にも、軽く打ちのめされます。


15分はあっという間に過ぎて、食堂の外へ。そうそう、音声ガイドはWikipediaとかをある程度読んでおけば足りる内容でした。お土産屋を通り、外でトラムに乗り、再びドゥオモへ。すっかり昼になり、観光客も増えてきました。ワシはビールを軽く飲んで、これまた立派な建築のアーケードを抜けて、スカラ座へ。さらに歩いてブレラ美術館前を通りますが、どちらも中には入らず、どちらかというと街歩きをしながらのランチどころ捜し。


テキトーに歩いていた路地、店の軒下に幌に書かれた創業年がワシの誕生年と一緒だからというだけで入った「Gestino」なるリストランテ。そこでテキトーに頼んだパスタが、なんと絶品の美味さ。黒くてひらべったいパスタ(ラザニアに入っていそうな)にシーフード、あえられたオリーブオイルがとにかく美味い。いやー、ワシやっぱり美味いものに対して感じる何かを持ってるね(大きな勘違い)。でも、調子にのって、赤ワインにパンナコッタにエスプレッソと頼んでたら、なんと驚きのランチで50ユーロ行きました……。


リストランテ近くのランツォ駅から、メトロに乗って再びミラノ中央駅。レールパスの使用開始手続きと次に乗る列車の指定券を取って、ホームへ。行き止まり型の20以上のホームがあり、とにかく長大。そして列車がいっぱい(鉄なので歓喜……)!乗車するヴェネツィア行き「EScity」なる特急列車に乗り込みます。ちなみに今回のレールパスはちょっとだけ奮発して一等車用。でも席指定には、別途ちょっとお金がかかったりするのが残念。


さて、ワシの席は……ああ、窓が無い!いや、前後にはあるんですが、基本的に窓の場所と席の場所がシンクロしてないので、席によっては窓が無い部分が出てくるようなのです……。こういう時に、日本のプロダクトのさりげない細やかさを感じたりします。席は結局、走り出してから空いている席に移動。


車窓は、思ったよりは平凡でした。とはいえ、当然日本とは違った建物や草原、葡萄畑の中を走っていくのですが、そんなに代わり映えはしないので30分くらいで飽きが来てしまうのです。それでも、たまに出てくるハッとするような景色を眺めつつ、二時間半を経てヴェネツィア到着。列車が島に乗り込む橋上から、水の中に浮かんだ街が美しく迎えます。


まずは宿に行こうと、水上バス「ヴァポレット」に乗って、いきなり大運河(キャナル・グランデ)を抜けてサン・マルコ広場へ。水の都、というのは誇張でもなんでもなく、本当に至るところに水路があり、また景色がいちいち美しい。この初夏、京都は丹後半島の伊根という、船屋で有名な街に行ってそれはそれで赴きがありましたが、また全く違う水の街の魅力です。


サン・マルコ広場に着いて宿を捜しますが……見つからない。同じところグルグルしますが見つからない。広場から数分で着くはずなのに、方向音痴とは程遠いワシがたっぷり40分は迷いました。というくらい、この街は細い道が入り乱れ、正確な地図は誰も持っていないほどだとか。


最終的には、たまたま友人夫婦が新婚旅行で使ったのと同じホテルだったのですが(新婚旅行で来るには安宿過ぎますが)、その旅記でサイトにあげていた写真を見て、どの路地を行けばいいかを推測して、たどり着きました。ありがとう、友人夫婦。ちなみにホテル名は「チッタ・ディ・ミラノ」。まだミラノから離れられてません。


夕暮れも近付いてきましたので、まずはサン・マルコ広場の鐘楼へ。8ユーロ払ってエレベーターで上に昇ります。徐々に沈んで行く夕日と町並みと水路と海を、しばし鑑賞。夕日が落ちると何人かの欧米人が拍手をして、展望エリアが急に空きます。


いつも思うんですけど、なんで太陽が見えなくなるとみんな夕暮れに興味を失うんでしょうかね。空が一番赤く輝くのは、むしろここからなのに。


知ってか知らずか、日本人観光客はそのまま鐘楼に残る人が多く、赤さを増していく雲を眺めては感嘆しています。その中に三日月が浮かび上がり、また水路に明かりがともり、夕暮れと闇とが溶け合った風景がヴェネツィアを包み込みます。


たっぷり一時間近く光の饗宴を楽しんだワシは、もう少し散歩と、とっぷり暗くなった街中を歩き、再びヴァポレットで夜の運河を楽しみます。リアルト橋近くで降りて、今日もジェラート(レモン味)を楽しみながら、歩いてサン・マルコ広場へ。この広場沿いのレストランは、どこもクラシックを中心とした生演奏をしていて客の誘い込みをしてます。もちろん、ただ歩いているだけでも聞けるのですが。


広場の裏手、「ハリーズ・バー」がワシの目的地。ここは、カクテル「ベリーニ」の発祥の店だそうです。店内は、ディナーの客はもちろん、ベリーニ目当てのドリンクだけの客もいて適度にごった返してます。「ベリーニ」の誕生から三代目らしいマスターが、手際よく次々注文されるベリーズを作ります。


ワシは、ポルトワインをアペリティフに、二杯目でベリーズを注文。なるほどこれが元祖の味か。いや、美味しいです。他との違いは分かりませんが美味。もう一杯おかわりしても良かったかも。マスターがサービスでカウンター席の客に振る舞ってくれたひき肉のコロッケ風何かと酒が、ワシの夕食になりました(いや、昼食い過ぎて余り腹が減ってなかったのねん……)。





さて今日は、テキトーな時間までヴェネツィアを回って、その後フィレンツェに向かう予定。今夜は宿も決めてないのでどの街に行くのも自由ですが、まぁきっとフィレンツェに泊まりそうな予感です。