コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

忘れず、とらわれず

言わずとしれた一年の区切り。そんなの、暦の上のことでしかないし、心理的なものでしかないと分かっていながら、正午過ぎから妙に心がぞわぞわして、軽い恐怖心が心の中をたゆたっていました。


昨年のその時間、秋葉原でカフェに入ったら揺れだし、表に出たらヨドバシアキバを始めとしたロータリー回りのビル群が、きしきし嬌声を上げていて、今にも襲い掛かってくるかと思った、あのよく晴れた日を思い出してしまって、その再来を恐れてしまったんですね。


こういうのもトラウマっていうんですかね。


ワシは今日、平常心であろうとして無理をしていた気がします。昼、ふと思い立って空き時間に、三浦半島河津桜が五分咲きというのを見てふらり行ってみて、とはいえ用事があったんで長居はしませんでしたが桜を堪能し、その刻は、三浦海岸駅にほど近い寿司屋で遅めの昼飯を取ってました。


その「紀川」って店は、味はなかなか良くて、握りのシャリとネタの間に山葵以外の薬味を入れてるのが美味しく(アジにはシソ、イカには海苔。エンガワの海苔だけは余計だったかなー)、値段もそこそこしましたが、まぁこの辺はまた別のお話し。


その刻には、黙祷をtwitterに書くこともせず、黙々と仕事をする大将の手元を見、テレビから流れてくるスポーツ中継の音を聞き、それでも淡々と、献杯だけはしてみました。


とらわれてるな、と思います。


ワシは、被災者の中には入らないですし、近しい人を亡くしてもいません。ボランティアにも行っておらず、数度、被災県へ旅に行ってお金を落とした他は、義援金を送ったくらい。


何が正しいかなんて分かりませんし、何が出来たかなんて結果から遡って思考しても無意味です。でも、とらわれていると、その思考に陥りがちになるな、と感じます。


だからワシは、忘れず、とらわれず。正しいことではなく正しいと思ったことをし、出来たかもしれないことではなく出来ることを、今後とも続けていこうと思います。


やはり、一年というのは、良くも悪くも心理的な道標ではありますね。


(なんともふわっとしたテキストですが、「いま」の言葉として公開)