コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

そうなんです。

もうひと月以上前のことですが。

 

とある土曜日の朝、6時くらいに目が覚めてお天気も悪く無さそうだったんで、奥多摩に「小さな旅」に出てみることにしました。(写真はコチラ

 

や、前々から奥多摩方面に行きたいな、というのはあって脳内計画は立てていたので、完全な「行き当たりばっ旅」では無いのですが、思い立ったが旅立ち日和なのは違いなく。しかもこの日の夜は実家で家族と宴席の予定があるので、終わりの方の時間制限もあり。ま、なんとかなるかな、と、リュックに山登り用グッズと、そのまま実家に行くのでノートPCやらなんやらも詰め込んで、出発。

 

位置ゲーム系の取得もしつつなので、江古田から所沢、拝島ではJRに乗り換えつつ朝飯と昼用の弁当を買い込んで、奥多摩へ。車中は山ガールを始めとした「いかにも山登り」ふうな人でごった返していますが、中央線とかに比べると若者が多いイメージ。あるいは、中高年中心だった山登り界にも変化が来ているのかしら?

 

さておき、奥多摩駅で下車。ワシの記憶が確かならば、小学生の頃、夏休み後半の恒例だった「親父と二人旅」で来て以来。もう一回くらい来たことがある気もするけど記憶にはなし。さておき、バスの発車時間まで情報を集めようと案内所をふらついて戻ってきてみたら、あれまぁなんと、バスが満員で乗れないじゃないですか。

 

バス会社の人が電話であれこれ話しているのが、他にも居た乗れなかった人々の耳目を集めます。結果、増便!おお、ほぼ時間も変わらずに、むしろ余裕で座れる状態で乗れるとは!ということでラッキーを感じつつ、東日原行きのバスに乗り込みます。

 

途中、登山客は所々の登山口があるところでどんどん降りていきますが、ワシがまず向かったのは終点の「東日原」。土日のため平日終点の鍾乳洞近くのバス停まで行ってくれないので、そこから歩いて目指しましたるは日原鍾乳洞

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<東日原のバス停から。ここも存分に山奥>

 

ここも、件の親父との二人旅で行ったところ。実に25年以上ぶりだと思います。蒸し暑くも静かな集落を抜けて歩いて20分、到着した鍾乳洞は表の熱気が嘘のようなひんやりとした空気。

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そこそこ観光用に整備されつつ、とはいえそれも老朽化しつつ、薄暗い洞窟の中を進みます。通年11度くらいという洞内ですが、入口付近以外は風も無く、半袖でも案外快適で、時たましたたり落ちる水滴に驚かされる程度。何万年の自然が作り出した造形美と、そこに意味を見いだした昔の人々の信仰心(洞内には社や「三途の川」があります)を感じつつ、30分ほどの散策を終了。

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小学生のころ巡った時の記憶はほとんど無く、来たことそのものの記憶と写真の記録くらいがここに来たことを証明しますが、今はFacebookでチェックインなどしてライフログにしてしまう。四半世紀は隔世の感。

 

気温差でレンズが曇ったままのカメラを抱えてバス停に戻り、恐らく25年前は奥多摩湖の方を巡って渓流釣りなんかをしていたようですが(当時の写真より)、今回は「川乗橋」というバス停で途中下車。朝、このバス停で降りていた人も多かったですが、ここには「川苔山(かわのりやま)」という山に登る登山道があります。奥多摩エリアから登れる山は幾つかありますが、物の本の、難度中級くらいで適度な時間で行けそうなものにしてみました。

 

朝組に2時間以上遅れて、ほとんど正午から登り始めるワシ。バス停に居た地元の案内人の人からも「これから登るの!?まぁ日が長いからギリギリ大丈夫かなぁ」と言われながら登山道に入ります。

 

 

この川乗橋側からの登山道は奥の方まで川苔谷と呼ばれる沢が続き、また名瀑ともされる百尋の滝を通るので、熱い空気の中でも比較的清涼感を感じながら歩けるコース。実際、落差25mの百尋の滝は中々の見所で、途中途中の小さい滝もそれを繋ぐ川の流れも心地よいです。とはいえ、中級者向けというのも嘘ではなく、難所は無いながら急峻な所もありつつで、かなり、足に応えます。

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てか、一番の問題は、スケジュールの都合上とはいえノートPC他余計なものが入っているこのリュックでは無いかと思いますが、ともあれ、しんどさを抱えながらも14時半頃山頂に到着。グループを中心に30人くらいがくつろいでいます。ワシはひとり、息を切らせて汗を垂れ流しながら人心地。買ったおむすび弁当を広げて風景をおかずに栄養補給です。

 

しかし……そのおかずの眺望の程は、正直いまひとつ。山頂からは西側が拓けているのですが、角度的にも広くは無く、晴天なら富士山も見えるそうですがこの日は近隣の山稜が関の山。うーん、結構大変だったのでもうちょっと眺めが良いと良かったなぁ。これだと、今回のハイライトは百尋の滝、かな。

 

てことで、山頂で一番楽しかったのが、隣でお弁当を食べていたカップルが、どうやら恋人未満の先輩後輩な感じで、ややぎこちない会話ながら後輩側の女子が「ホントですよ−、自分で作ったんですよー」とか言っているのが微笑ましかったこと、かな。単なる出歯亀か。

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<山頂からの眺望、を、少しハイライト加工>

 

30分強を山頂で過ごして下山道へ。往路とは別の、鳩ノ巣駅方面に至る道を行きます。夜の予定があるのでこれはかなり早足で降りたいところ……と10分も歩くと、左膝の裏に激痛。うほ、こりゃ歩けん。

 

休み、歩き、休み、歩き、と1時間弱を行きますが、うーん、こりゃきちんと休めないと無理だな、と登山道中のベンチに座って足を伸ばしていると、通りかかった若い男女四人組が心配して声をかけてくれます。大丈夫ですよ、と言いつつですが、女性がこれ使うと楽になりますよ!と冷却スプレーを吹き付けてくれて冷湿布まで貰います。栄養補給にと鉄分のタブレットまで貰い、大変世話を焼いてくれました。深謝。

 

彼らは先行し、もう少し休んでから歩き始めますが……うおおお!冷却スプレーってこんなに効果覿面なのか!というレベルで一気に足が軽くなります。筋肉だか贅肉だかが炎症を起こしていたんでしょうか。足取り軽く、先行していった四人組も結果的に抜かして、ざんざか降りていきます。

 

足が痛くなった時点で当初乗る予定の電車を諦めていたんですが、もしかしたら間に合うかもしれない……という色気が、後々のトラブルを招いたのでしょうか。

 

 

登山道はほぼ降りきって、ここからは駅に向かって降っていくだけ、というポイントで、駅への道を見失ってしまいました。何か、道状になっているものがあるな、と進入していったのですが、ずんずか進んでいくとそれも微妙に見失い、ただの獣道となり、その道沿いに行こうとすると急な坂道。素人が行く登山道じゃ無い。

 

それでも、数十メートル降りてみたのですが、どう考えてもこれはおかしい、と気付き(もっと早く気付け)坂道の上まで戻ります。ここで取り出しましたるはスマホ。ギリギリ電波が入ったのでGoogleMAPを開いてみれば、獣道を辿る等高線がここから急坂で降るか、登っていくか。いや、登っていくのもおかしいよな。

 

てことは、道はこっちじゃない。

 

時間は17時半近く。7月とはいえ山の中、林の中は、徐々に昼の明るさを失いつつあります。闇に至るにはまだ時間がありますが、気持ち的なものも含めて暗さが急速に増してきた予感。軽い恐怖心にも駆られながら来た道を戻りますが、これが、来た道を正確に辿ろうと思うと、獣道が見えなくなってしまうのです。

 

結局、ほぼ道無き道を来ていたことに気付いて、さらに恐怖心が増してきますが、ここで助かったのは、一度通った道はそうそう忘れない謎の特技。特に、自分で言うのも何ですが短期記憶には優れているので、来た時の自分の動きを反転させて、道を行くというよりは、自分の影を反対に追うかという意識で進みます。いや、戻ります。

 

そうして15分。無事、分岐したところに戻ってきました。

 

ちょうど、山道の途中でスプレーを貸してくれた4人組の男女と再開。ものすごい顔で「えっ」と絶句されましたが、「いやー、道間違えちゃいまして(てへぺろ)」な感じでするっと先行します。そして、その分岐で見渡してみれば、きちんと駅方面を示す案内表示が、小さいながらもあって、なんでさっきこれに気付かなかったのかと。どうやらワシが入っていった道っぽいところは、営林のための通路として道っぽくなっていたようでした。

 

駅までは30分ほど。途中、神社への分岐があったのでお参りしていこうとそちらを選び、進めば小学校や住宅と言った町並みが見えてきて安堵し、神社で無事の下山をお参りして、鳩ノ巣駅へ。駅前の売店でビールを買って、予定より1時間半遅れの下山に祝杯です。

 

 

何度か山は登ったことがありますし、あるいは徒歩旅をしている時も含めて、「遭難」と言える事態に陥ったことはこれまでありませんでした。たぶん。いやまぁ、遭難と言うほど大袈裟では無いかもしれませんが、「あそこで引き返さなかったら」と想像すると、胆が冷えます。

 

自分の不注意が原因ですし、結果、大事では無いレベルではありますが、「危うく遭難」って体験は中々に恐ろしいもので、無事戻ったから言えることですが自分の精神なり気持ちに対して「得がたい経験」になりました。

 

日が暮れつつある森の中で方向を見失いかける恐怖感や、元の道に戻る判断のポイント、戻りの道をトレースできなかったら、あるいはケータイの電波が入っていなかったらどうなっていたのか。そういったものごとを本や映画で見たことはありますし、想像を巡らせたこともありますが、実際に体験してみると身に染みます。

 

身に染みた結論。山を舐めてはいけない。当たり前ですね。こんな経験、一般的にはしないに超したことは無い。

 

まぁ、何事も経験、と嘯くワシには、懲りたということも含めて、繰り返しになりますが、得がたい経験です。でも、よい子は真似しちゃいけない。山道では先の案内板をきちんと確認しよう!

 

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<それぞれ違うところで撮った写真を加工したものですが(プチ遭難中は写真撮る心の余裕も無かった)心理的にはこんな仄暗い中を進む雰囲気>