コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

ブラタモリ「熊野」私的まとめ

NHKブラタモリ「熊野」視聴。テーマは「なぜ熊野は日本の聖地になった?」。

 

舞台はワシも何度か訪れている熊野三山。都である京都からは300km離れているが、蟻の熊野詣でと言われるほどに参拝者が多く、そこには誰もが訪れたくなった理由がありがたい理由があった、という。

 

f:id:tomosaku:20190821084630j:image

那智の滝

 

名瀑・那智の滝を擁する熊野那智大社。江戸時代、通行料を取った途上の大門坂の関所からは、そのものがご神体である那智の滝がチラ見でき、滝を見るだけで滅罪浄化(現世の罪が許される)とされていたらしい。

 

f:id:tomosaku:20190821084544j:image

熊野那智大社参道

 

その那智の滝の成立には、やはり地質が絡んでくる。大門坂の石段は江戸時代に周りの谷から採った柔らかい砂岩。那知の滝の岩肌はマグマが冷えて固まった硬い流紋岩。水は柔らかい砂岩を浸食し、地質の境目にあったことが、那智の滝を名瀑たらしめている。

 

そして、熊野那智大社にはありがたさを押し上げた物があって、ひとつは八咫烏が姿を変えたと言われている岩。八咫烏は神の使いの三本足の烏で、サッカー日本代表のシンボルマークでもあるが、熊野のシンボルでもある。

 

もうひとつは、神仏習合熊野那智大社は神社なのに、仏教のものである護摩木があるが、これは隣接する青岸渡寺が由来で、神仏習合によって密接な関係が築かれた故のこと。かつては渡り廊下すらあったのだとか。

 

f:id:tomosaku:20190821084506j:image

青岸渡寺の三重塔と那智の滝

 

ご神体である那智の滝と、青岸渡寺の三重塔が隣り合って見えることで、現世の罪を浄化する神様、死後の苦しみから救ってくれる仏様、役割の違う、まさに「神様仏様」を拝むことができたのが人気の秘訣。「医療保険と死亡保険のダブル保証」の喩えには吹いたが、都から近すぎず遠すぎずの絶妙な距離感と相まって、ありがたみが増したのだろう。

 

元々個別のルーツを持つ熊野三山は、11世紀に神仏習合と共にまとまった。そこには、熊野古道を整備し上皇を呼び寄せた立役者(プロデューサー)がおり、それは山伏と言われている。修行をし、道を整備し案内し、全国を巡って布教活動をした結果、日本第一大霊験所と呼ばれるまでになったのだとか。

 

しかし、この聖地のありがたみも、雄大で神秘的な紀伊山地の地形あってのもの。フィリピン海プレートと太平洋プレートが押し上げ、多雨で浸食されてもまたプレートの力で隆起し続ける、その結果出来上がった海と急峻な山とが密接な地形が、この地を聖地たらしめている。

 

故に熊野では海も聖地となる。海に近い補陀洛山寺に置かれた船は、補陀落渡海船を復元したもの。四方に四つの鳥居があるが、これは山伏の修行の作法では葬式であり、この船は棺桶船であった。

 

補陀落とは苦しみの無い仏の世界のことだが、海の向こうにあるとされ、かつて住職はこの船に乗り、外から釘を打たせて出られなくし、人々を救うために海へと旅立ち、そのまま帰らぬ人となった。いわゆる捨身行だが、熊野の信仰が山から海へと広がっていった故であった。

 

(写真は筆者)