コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

お父さん

ゴッドファーザーhttp://d.hatena.ne.jp/tomosaku/20090104#1231038538)の弔事の、ちょっとした記録。神社関係以外のマイミクさんにはアレな話題だと思いますので読み流し推奨で。まぁ、そんなに間も開けずに次の日記を被せる予定ですが。





通夜祭(お通夜)の日は、昼間はどうしても代わりを見つけられなかった取材が一件入ってて会社へ。まぁそっちは(たぶん)無事に終わりましたんで粛々と神社に向かいます。到着の頃には既に参列者の受付が始まっていて、準備のお手伝いはできなかったものの、そっからお手伝いに合流します。


ワシら若手(神社じゃ30代なんて若手も良いところです)は、誘導と警備が主なお手伝い。そこそこ寒い中、そこそこの時間外にいたもんですから、そこそこ体がガチガチになってしまいます。でもまぁ、このくらいは慣れたもの。正月とか、祭りの最中は基本似たようなこともしてますしね。


途中、玉串奉奠(たまくしほうてん)、という、仏式で言うところのお焼香にあたるものに近いようで遠いことをしに、祭礼殿へ、御榊(おさかき)を捧げて奉奠します。その前にも見てはいるのですが、祭殿などに掲げられた遺影が、とにかく素晴らしい笑顔の写真で、つい、胸にこみ上げるモノがあります。


ワシが最後にゴッドファーザー(って、日記中ではこの呼び名で統一していますが、もちろん神社では別の呼び名です)にお会いしたのは、昨年の11月、この神社の立教記念祭典の朝でした。仕事でお手伝いはできなかったのですが、ご挨拶だけはさせていただいたのが最後の交流。その時は、車椅子に座って大変そうなお体でしたが、写真を見て、昔の活力あった頃を思い出しました。





翌日は神葬祭(告別式)。この日は朝から神社に行って、前日同様のお手伝い。そしてもちろんですが「出棺」という行事があり、そのために警備誘導の人たちはスムーズに、そしてきちんとお別れをするために、綿密に打ち合わせをして備えます。まぁ、それは結果的に半分徒労に終わるのですが(結果的には良い意味で)。


神葬祭の始まる11時頃、ちょうど参列者が出そろったことから、ありきたりな表現で恐縮ですが、冷たい雨が降りしきり、まるで空が涙を流しているようです。式は粛々と進みますが、やはりこういう時の「弔辞」や、あるいは神道ですから「祝詞」(「祝」って字を使ってますが、葬祭時も「祝詞」って言います)など、書いた人の思いが詰まっていて、こちらまでグッと心が詰まります。


そんな中、弔辞の最後となった、神社のナンバー3(実質ナンバー2)の方の語りかけ。この方は、今回お隠れになった一番えらい人の長男でもあるんですが(別に神社は世襲ではないんですが)、普段は「親子」ということを全く出さず、人前ではえらい人のことを「職名+敬称」で呼んでるわけです。というか、ワシも含めてこの神社に通うほとんどの人は、この人が父であるえらい人のことを「父」と呼ぶところを見たことがない。


その方が、挨拶の最後の最後、涙声になりながら。


「お父さん、ありがとうございました」


と言ったので、もう涙腺崩壊です。そこに詰まった思いは如何ほどのものか。


神葬祭が一通り終わり、出棺の準備が始まるころには不思議と冷たい雨があがりました。多くの人が参道に並んで見送りをするので、天が止ませてくださったんでしょうか。たっぷり40分近くかけて出棺の準備をし、神社の参道をゆっくりゆっくり霊柩車が走り出します。


居並ぶ人からは、お隠れになった方への「ありがとうございました」の声。今までいろいろ教えていただいた、導いていただいた、助けていただいたことへの、涙ながらの感謝の声。ワシも、人が飛び出ないように列を警備しながら、声には出さずに「ありがとうございました」と御礼を申し上げました。声に出してたら、たぶん泣いてたから。


車が鳥居を出て行ったところで、深く深く一礼をしました。溜まっていた涙が、参道に零れました。