コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

シベリアちょっと特急

そもそも何故シベリア鉄道に乗っているのか。


もちろん、旅好きのワシにとって「大陸横断鉄道」は蠱惑の響き。カナダのオーストラリアのそれも魅力的ですが、やはり世界最長の「シベリア鉄道」の魅力はそれに倍します。とはいえ、端から端まで乗れば七泊八日という長大な旅。中々実現するにも大変です。その点、今回の旅は、短い中ですが一応「シベリア鉄道」を体験できるのが面白い。まぁ、「大陸横断」は体験できませんがね。笑。


そしてまぁ、そんなことより、ワシと「シベリア超特急」の水野晴郎の類似がだな(ry



6月3日21時20分。意外にも定刻に駅を滑り出したシベリア鉄道「オケアン号」。オケアンとは「大洋」という意味らしく、車体が水色だったりイルカのイラストが書いてあるのはそれ故でしょうか。ワシらの乗った二等寝台は、4人用コンパートメントが8室。車両の前後にトイレ、片側に車掌室、車掌室の前には熱いお湯が出るタンクが積まれており、これは自由に使うことが出来ます。


コンパートメントの中は、向かい合いの二段ベッド。下段が、ベッドで無い時にはソファになります。上段にあがる手段を見つけるのに手間取りましたが、ドア横のバーを下げると、簡易的なハシゴというか足かけが出てきます。上段ベッドに手すりが無く、寝返りを打つと落ちるという話もありましたが、車両によるのでしょう、このオケアン号ではきちんと手すりが付いています。


これまたよく言われることに、車両の老朽化による使用できない設備や汚れってのがありますが、こちらもこの車両は問題無く、まぁ結論としては大変快適な寝台列車の旅でありました。


まずは、まだ明るい車窓を眺めながら部屋で乾杯。ビールやいろんなものを開け始めます。窓の外は薄いグレーのアムール湾やウラジオストク郊外などが流れていき、徐々に暗くなっていきます。22時頃には、黒の勢力がだいたい窓の外を埋め尽くしました。見えるのは、時たま流れる街灯くらい。


……って、大事なこと忘れてた!食堂車に行こうと思ってたんだ!事前情報では22時には閉まる……って、発車して一時間もやってないのかよ!と、まぁ様子だけでも見に行こうと、部屋に残るという一名を置いて向かってみれば、おばちゃんウエイトレスが明るく迎えてくれました。あ、あれ?


送信者 極東ロシア弾丸旅(編集中)
食堂車


どうやら24時まで営業している模様。ということで、早速着席し、しかし腹はいっぱいなので、みんな一杯ずつくらい飲み物を頼みます。この車両も綺麗で、ワシの中での類似は、ドイツのICEの食堂車。明るめの内装が、むしろロシアらしからぬ感すらあります。ワシは、ウォッカをデキャンタ(100mlだけど)で。いや、ショットグラスで無いって言うもんだから。。。


30分ほどを食堂車で過ごし、コンパートメントへ。再び飲み始めますが、昼から飲みっぱなしのくせに晩飯から食堂車までウォッカを煽っていたワシは、そろそろ活動限界。皆さんが盛り上がっていく中、ひとり、沈没していきます。


そうこうしているうちに日が変わり6月4日。旅メンバーのひとりの誕生日になりました!コンパートメントの中でささやかにハッピーバースデーをやって、買ってきたケーキを切り分けますが……この頃にはすっかりくったりしてたワシは、記憶も絶え絶えになってしまいました。猛省。


気が付けば、すっかり全ベッド就寝の支度が出来ており、何かと役立たずだったことを恥じつつ、まだよっぱらっぱなので再びの沈没。夜中にまた1度目が覚めましたが、パチッと目覚めたのは4時少し前。これを早寝早起きと言っていいんだろうか……。


北海道より高緯度にあるハバロフスク近郊は、太陽こそまだ顔を見せませんがこの時間から明るくなっています。と言っても、窓の外に見えるのは、森か、草原か、山。たまに湿地。雄大ですが、代わり映えしません。たまに出てくる集落がアクセントに感じるくらいです。


送信者 極東ロシア弾丸旅(編集中)
車窓の風景


5時ころ、後輩も起き出してカメラを構えては車窓の撮影。徐々に太陽も昇り始めて、緑色と朝靄の白が鮮やかさを増していきます。今日は薄いグレーでは無い、良い天気になりそうです。


7時頃、上段ベッドに寝ていた女性陣も起きだし、部屋の中は一気に支度ムード。何しろハバロフスクまであと1時間ちょっと。ワシも、腹はいっぱいでしたが、せっかく前夜スーパーで朝食用カップ麺を買ったので、お湯を入れてずるずる。さらに、20ルーブルくらいで車掌が珈琲や紅茶を入れてくれてごくごく。でも、珈琲に断り無く砂糖を入れるのは止めてください!


8時20分。意外にも、というと失礼ですが、定刻にハバロフスク駅に到着。11時間ほどの短い夜行列車の旅が終わりを告げました。


……あ!シベリア超特急ごっこ、やってない!


送信者 極東ロシア弾丸旅(編集中)
ハバロフスク駅にて、機関車。



駅のホームには、ハバロフスクのガイドさんが待っていました。名前を聞き逃してしまいましたが、40〜50代くらいおじさま。日本人風の顔立ちでしたので、日系何世とかかもしれません。ガイドさんとは別にロシア人運転手さんもついて、短いハバロフスク滞在を案内して貰います。


月曜朝のハバロフスクはさすがにそれなりの人混み&渋滞。そういえばもうすぐビジネスアワーですな。朝到着のルートに入っているものなのか、ホテルに寄ってトイレを貸して貰ったあと、そこからも近い「スポーツ公園」へ。園内を散歩していたら、やってきましたアムール川……でかい!


海外の川にはたまにありますが、もう対岸がかなり向こうにあります。「あの対岸に見えるところ、中州なんですよ」とガイドさん。マジか!対岸までは4kmあるとか。マジか!!!!日本でこれに近いのは、三重県は桑名あたりから見る揖斐川長良川の合流あたりでしょうか。


送信者 極東ロシア弾丸旅(編集中)
アムール川。対岸に見えるのが中州。


川の流れは雄大にして長大、思わず合唱曲『アムール河の波』の思い出しますが……ワシ以外の3人は「なにそれ?」といったリアクション。ええ!小中学校の合唱で絶対どっかのクラスが歌ってたはずだよ!まさかこれが、ジェネレーションギャップ、あるいは地域格差!?


園内の小高い丘に登り「アムール河展望台」へ。展望台そのものは改修中で入れませんでしたが、先ほどよりさらに雄大に川を眺めることができました。ここの対岸は違いますが、少し先に行けば川向こうはもう中国国境。どちらも長大な国ですが、それを隔てる線も長大です。


展示されてる大砲にまたがってみたり(ここに要塞があったのではなく、隣接する博物館の展示物だとか)して車に戻り、今度はロシア正教会の見学へ。数分して着いたところは、やはり第二次世界大戦をメインにした、この街から戦争に向かい、果てた人たちの慰霊碑。チェチェン紛争アンゴラ内戦、アフガニスタン紛争といった様々な紛争の犠牲者は一枚の慰霊碑にまとめられていますが、何と言っても第二次大戦の犠牲者の慰霊碑はとんでもない枚数。彼の戦争の苛烈さを思い知ります。


鎮魂気分のあとは、歩いてすぐの『ハバロフスク救世主顕栄大聖堂(スパソ・プレオブラジェンスキー聖堂)』へ。典型的な(ガイドさんに言わせれば「クラシカルな」)ロシア正教会の建物です。こちらは一般見学、参拝も出来ると言うことで、大きな扉を開いて、中へ。


キリスト教の教会、聖像の前に椅子が並んでいる形式を思い浮かべていたので、がらん、としたフロアにまず驚きます。ミサとかの時も、椅子は無いそうです。意外に思いましたが、そういえばイタリアのドゥオモなんかも、椅子が並んでいるところもあればガランとしたところもあって、宗派やら地域やらで違いがあるのかもですね。調べてみると面白いかも。


高い天井にはキリストのフレスコ画か、モザイク画が描かれ(高くてよく見えない)、作りは本当にドゥオモに近いですね。この教会だけがそうなのか、聖堂が正方形なのは少し面白い。そして売店も置かれていて、様々な信仰グッズの中には当然「イコン」も扱われています。芸術的なアレコレは分かりませんが、やはりその描画にはちょっと特徴的なものを感じます。



図らずも敬虔な気持ちになって教会を出た後は煩悩タイム。近くの公園に移動して、午前のおやつと洒落込みます。洒落てるか?時間はまだ10時過ぎですが、太陽高く日差しは強く、ロシアという先入観からは意外なほど暑い気がしますが、これでもこの日は風があるから涼しいのだとか。夏は40度に至るというのは伊達じゃ無い。公園内では、犬も、人も、池に入って水浴びなんかをしています。


ピタに似た、薄いクレープのようなパンで野菜やチーズ、肉にポテトをくるんだものを購入し、飲み物(ワシだけはビール)を買い込みベンチで小休止。平和です。少し先で、写生の授業でしょうか、ロシアの女子中学生たちが絵を描いてましたが、その内水に足をつけてキャッキャウフフを始めます。いやぁ、何か民族的なコンプレックスがあるのかもしれませんが、この人らホント美人さんだなぁ。。。


「クヴァス」という、ライ麦麦芽を発酵させて作るらしいこちらの伝統的な微炭酸、微アルコール性飲料がありまして、どれだけ日常的かと言えば、町を歩けば100mにひとつくらいクヴァスの露店売りがあるほど。半畳ほどのスペースに、多量のタンクを持ち込んで売っています。


ひとつ飲みたい!という後輩の買ってくれたものを回しのみ。アルコール分は全然感じませんが、気の抜けた麦茶のような、ほんのり甘い甜茶のような、不思議な味です。こいつの入ったスープは、東京のロシア料理屋で食べたことがあるようですが、なるほど原液はこんな感じか……。


そして恐らく、この原液のおかげで、帰国後の夜からワシら4人、共通の腹痛に悩まされることになるのですが、それはまた、別のお話し……いたかった。。。



アイスを食べつつ、中央広場にあたる「レーニン広場」を経由して、12時ちょい前、ハバロフスク空港へ……到着したら、またも小さい地方空港。ホントにこれ、インターナショナル空港か……?一応、ガイドさんからも聞いていたんですが、土産物屋は絶望的に小さく、出国審査後の免税店に至っては、酒やタバコは多少あれどもローカル土産は数品しか無く、なんというか、最後のアテにしていたので無念。


土産と言えば。キャビアを日本で頼まれていたんですが、どうやら現地の人曰く「今は季節じゃ無い」そうで、確かに土産物屋にも、あまつさえスーパーにすら見かけませんでした。え、じゃあ日本に入ってきているあの缶詰はどうなっているの……? まぁ恐らく、一般の小売り流通と、輸出向けの流通は違うのでしょう。おそロシア。。。


出国審査もトラブルは何も無く、いろいろ身構えていた身には拍子抜け。13時30分、待合室からまたも数百メートルだけをバスで移動し、タラップでS7航空成田空港行きへ。何故か今度は日本語アナウンス付き、と言ってもテープを流しているだけですが、なんだこの差は。


寝たり外見たりしているウチに2時間半ほど。定刻よりも20分早くフライトした機は、定刻より20分早く、14時20分には成田に到着。荷物をピックアップして解散と相成りました。この後、全員の腹が痛くなるのはまた別n(ry



思わぬ旅程を後輩が発見し、ワシがたまたま水野晴郎氏に似ていたことから発展し、思わぬ旅好きメンバーを巻き込んで達成した、ロシア行・シベリア鉄道乗車の旅。いやはや、独り旅スキーのワシですが、こういうちょっと不安のある国へ行くなら特に、みんなで支え合って?わいわい騒ぐ旅も、たまには良いものです。


でも、一応、なにかになるかと思い後輩がムービーカメラを回していたのですが、あれですね、面白いコメントとか出来ない。旅動画を上げている人って、その編集も含めてすごいと思います。況んや「水曜どうでしょう」なんかも、すごい。もちろんアレだって、出演者は四六時中面白いことを言っているはずがなく、四六時中回し続けて面白いところをつまむ「編集」がまたすごい、って気がします。


あー、「旅」でコンテンツ、作りたいなぁ。。。(ご思案中)。


今回の旅に出てきたところが幾つか載っていたりするサイトがあったので、最後に参照に掲載。


ウラジオストクガイド
http://www.euras.co.jp/chi_kibetsu_info/vladivostok.htm

オケアン号
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B1%E3%82%A2%E3%83%B3_%28%E5%88%97%E8%BB%8A%29

ハバロフスクガイド
http://www.euras.co.jp/chi_kibetsu_info/khabarovsk.htm





そうそう、水野晴郎氏似云々の話がありましたが、なんか、口髭を生やしたら氏に似ていると言われ、「シベリア超特急」の続編撮らないんですか、と揶揄され続けたワシ。そもそも口髭に飽きてきてたし、実際のシベリア鉄道に乗ったことでその使命を終えた気がしたので、twitteでは実況しましたが、先週土曜日、断髭式を決行しました。



バリ旅に行って伸ばし初めてから二年八ヶ月ぶりのスッキリ!