コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

小舅の戯れ言

先日、家族で墓掃除行ったんです。母、兄、兄嫁、ワシの4人。お盆前なので綺麗にしておくってのと、管理費を地主に年に一度払いに行くってのと、今回は、兄嫁の妊娠報告なんかも兼ねた感じで。


ウチの墓は同じ県内にはあるんですが、区画整備されたようなところではなく、小さい山を切り開いた小さな墓地を昭和30年代頃に祖父が安く買ったところで、便利なところに引っ越そう、という話は出ても、家族みんな、小さい頃から来ているこの山の中が、「藪蚊が鬱陶しいね」なんて文句言いながら案外好きでして。


で、掃除をしていたら、墓石の間からちっちゃな蛙が出てきまして。キャーキャー騒ぐ人間はいませんでしたので、みんなで「可愛いねぇ」「何か、出てくる理由があるのかねぇ」なんて話してまして。


後者は、ウチは兄嫁含め一家そろって同じ神社に通って修行して、神主の勉強なんかをしているもんですから、こういう「ちょっと変わったこと」から、この先何が起こるかってのを考えるのが習慣みたいなもんなんですね。神社的には「理の判断」とか言います。


なので、ワシがtwitterなどにも書きましたが、「『蛙』が墓から出てきたワケだから、先祖の誰か、親父あたりが兄嫁の腹に『帰る』のかもね」なんて言ってたりしてたのです。おっと、それただの駄洒落じゃねーかとdisるのはそこまでだ。笑。


そうしたら、後輩さんからのコメントで、「それ、お嫁さんに言ったらダメですよ!」って指摘をいただいて。はて、なんで?と数秒考えてから思い至りました。


そうか、嫁いだ先の小舅からプレッシャーを与えられているように見えるのか!


いやはや、不覚にもまったくそんなことを考えていなかったのですが、確かに、文字面だけで我が家の関係性を知らなければそう取れるよな、と新鮮な気付きでした。


兄嫁は、京都から千葉に嫁いできた人ですが、先述の通り同じ神社に通って神道の勉強をしている人で、我が家は兄嫁の実家とも仲が良く、また我が家内でも元からいた家族のように馴染み振る舞っています。それは、少なくともワシの目には、無理をしてやっているようには感じない。だからワシの母を「姑」ではなく「お母さん」とナチュラルに呼び、ワシのことも「小舅」などとは思っておらず「弟」として接します。


嫁いできた時には他界していたワシらの父のことも「一度会いたかった」と何度も言っていて、それは兄やワシやもちろん母が、父が大好きだったのでその話をたまにするから、ってのを受けて、興味津々のようです。


だから、蛙の話(理の判断)をした時も、みんなで「そうだといいね」「でもそんな都合良くないよね」なんて笑いあっていたものです。


が、これはバックグラウンドの話。


ワシは、(あまり比較に意味があるとも思いませんが)比較的幸せな家庭に育ち、金は無いけど楽しい我が家、な感じで、それは祖父母や父が生きていた時から、兄嫁が嫁いできた後まで続いており、もちろん揉め事がゼロなワケはありませんが、面白い家族に恵まれました。


でも、もちろんそうじゃない家庭もたくさんあるわけです。


あまり類型化するものじゃ無いかもしれませんが、例えば嫁いだ先の姑や小舅小姑、あるいは嫁いだ本人(夫)にまで、子供の出来不出来に関するプレッシャーを与えられるお嫁さん、ってのは確かにいるのでしょう。ソースは読売新聞の発言小町。そういう人が、小舅から、お腹の子は父親の生まれ変わりだね、なんて主旨の発言をされたら、それはそれは気分を害するだろうな、という想像力は持っています。


まぁ、だからといってこの手の発言を止める気はありませんが(ワシの発言はワシの立場で発しているので、他者への配慮をし過ぎて無難に言うことは、発言しないのと同じくらい意味が無いので)、そういう想像を巡らせることは重要ですし、ワシ自身の思考の糧になるので、とても勉強になった気分です。マジで。


ともあれ、家のことを語るのって難しいですね。