コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

作者と編集者

数日前、ちょっとした「炎上」になりかけて延焼しなかった騒動があったのですが、その論点がワシには大変興味深かったので取り上げてみます。経緯やらは次のまとめサイトをご覧いただければと思います。

久谷女子 VS ダンシマン 〜「原稿を書く」のは「原稿をもらう」より偉いのか問題
http://matome.naver.jp/odai/2135806006475147601


この騒動だけを見れば、中の人も見解も様々ですし、自分たちの作るものや欲しいものを説明し切れていなかった発注側と、貰った依頼に応えたがその説明を欠いた受注側、それぞれのディスコミュニケーションが招いているのかな……なんていうと相対的にしてしまっている感ですが、実際、そんな気がします。


で、まとめの表題にもなっていますが、『「原稿を書く」のは「原稿をもらう」より偉いのか問題』。以前からそうは思っていましたが、最近とみに「編集者の力」の大きさってものを感じ、ワシなりに敬意を持っています。


例えば分かりやすい例では、ラノベ作品。公募で大賞を取った一作目って、ネタは面白いけど文章がひどいことが結構あって、まぁそれも編集で直せよと思わないでも無いのですが、そういう作家でも、最初から編集者が入っている二作目からは、格段に文章力が上がっていたりします。ネタがより面白くなっているかどうかも問題ではありますが、取りあえずそこだけでも編集の力と言って良いでしょう。


まとめ中にもありますが、「人に原稿を書いていただく仕事」ってすごいと思うんです。もちろんこのご時世、(ワシも含めて)書きたい人間なんて星の数ほどいるわけですが、読ませる原稿なんてのはその中の僅かで、それは作者の力がまず根本にあるのはもちろんですが、編集者という存在があって増幅している部分は大だと思うんですよね。


あるいは、原稿そのものの出来よりももしかしたら大きいかもしれない、原稿を世の中に流通させる力。これは大概の場合、編集者の方が得手でしょう。作家の発信力は編集者に勝るでしょうが、特に金銭が絡む流通は編集者に長がある気がします。


そんなこんな、両者は補完関係にあるわけですよ。


いやまぁ、そんなことは出版始めメディアで仕事している方には常識なんでしょうけど、こと、UGCなんてものが勃興してこれが混在しているのが現代の時代性でもあって、その中で、編集者って必要なの?と言っているのを何度か目に耳にしたことがあるので、世の中的には常識では無いんだな、と。


時代性で言えば、作家と編集の在り方も変わってきていると思いますし変わっていくと思います。それぞれにおける「同人」と「プロ」すら混在しつつあります。そしてそんな時代だからこそ、編集って仕事は大事になってくると思っていますし、作家とそれこそきちんと「相棒」になれる人間力も大切なんだと思います。


だからまぁ、原稿を書くのも、原稿を貰うのも、どっちも大切だよね、ってのが、結局のところ冒頭のまとめに対する極めて平穏な見解になってしまうのですが、その考えを深めることができたので書いてみました。