コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

長い旅路の先に【小笠原旅記7】

父島からの出港日。「あー、明日から仕事かー」と思わず嘆息するも、よく考えるまでもなくもう一日休みだった罠。帰るにも25時間の船旅だってことをつい忘れちゃうね♪(阿呆)


では、小笠原旅記最終録。すでに旅記というより自分用備忘録になっているのはいつものこと!(すみません……)


7月19日夕方、母島から父島に戻ったその足で再び土産屋巡り。主に自分用のTシャツなんかを選んで、商店の軒先で無料配布していた西瓜をいただいて、宿に戻り夕食。後で聞いたところによると、その商店の前の主人の命日だから西瓜を配布してたとか……や、故人からの振る舞いはありがたいですが……。


夕食後は、初めてアクティビティの無い、そして父島最後の夜。というワケで夜の町に繰り出します。バーっぽい店にダーツがあったので思わずやってみたり、ピザが美味いと評判の店「ボニーロ」があったのでハシゴしたらホントに美味かったり……いや、晩飯後ですが何か?


それなりに飲んだくれ……てるのは毎夜のことですが、そろそろ疲れも溜まったか部屋に戻ればバタン&キュー。


明けて7月20日。父島最終日ですが、出港まで特に予定もないので街中をぶらぶら。ここにきてやっと「小笠原ビジターセンター」なる施設で、小笠原の歴史や自然を学んでみたり。狭い割には展示が豊富で、手軽に小笠原を知ることができます。


昼食はラーメンを所望。「海遊」なる店のビルフィッシュたんめんは、魚ダシが強烈で切り身も入っていましたが、まぁ悪くない味。でも、名物らしいフツーのタンメンの方が良いかも。食後は宿経由で港に移動して乗船手続き。





船の出港、って独特の物悲しさというか、「別れ」の空気があるように思います。昨年晩夏に体験した、北海道礼文島は「桃岩荘」の見送りは強烈で劇的で感動的でしたが、それには及ばないまでも、船が岸を離れ汽笛がなると、なんとも言えない気分が胸を満たします。


小笠原の見送りは盛大で、島民、来島者、誰彼構わず手を振り、太鼓をならして航海の安全を祈り、また大量のクルーザーやシータクシーがこれまた誰彼構わずにフェリーをどこまでも追ってきて手を振ります(写真)。中にはカヤックでくるツワモノや、海に飛び込んで手を振る人まで。そんな中、シーカヤックでお世話になったジローさんとヒロシさんを見つけましたが、向こうからは見えたかな?


その後は、再び長い船の旅。二等船室は行き以上の混雑で、寝床の隣の人との距離は「添い寝」レベル。という狭さなんで、14時の出港後、一度だけ酒のツマミをとりに帰った以外は22時の消灯過ぎまで船室に戻らなかったのですが……。


やっとこ寝ようと戻ったら、そこを知らない家族が使って寝ていた時の絶望感といったら!


なんか、起こすに起こせないし、仕方ないので空いてるトコで寝てたら、やっぱりそこの箇所の人が船員呼んできて起こされるしで、なんかワシが悪者。ま、結局船員に起こしてもらって、元の自分の箇所取り戻しましたけどね!


で、また今日も朝日を見ようと4時半に起きたり、相変わらず朝から飲んだくれてたり、松屋なら500円で済みそうな朝飯に1200円出したりしましたが、船は東京湾に入って間もなく竹芝桟橋。旅もようやく終焉です。





たまたま二週連続で、宗谷岬&波照間島と、小笠原諸島を旅しましたが、やはり交通手段って大きいな、と思いました。最北だろうと最南だろうと、宗谷や波照間よりも、(感覚的に)小笠原は遠い。海外よりも遠い。それは良し悪しではないんですが、その分「遠くまできたなぁ」という旅情は掻き立てられます。


今、小笠原父島では空港建設の是非を問うて侃々諤々の議論が起こっているそうです。その予定地には、この旅で見た素晴らしい景観の箇所も含まれるとか。何がより良い選択なのか、一介の旅人には判断できませんが、今の小笠原はいろんな意味で充分魅力的なのは間違いないな、と思います。