コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

そのままのボクでいて〜おみくじ2011

はい、新年恒例……というほどでもありませんが、まぁなんかほぼ毎年書いている新年の恒例備忘録。ワシの通う神社で今年ワシが引きました「おみくじ」についての記録です。なんだかんだで、毎年このネタを楽しみにしてくださっている方もいるようなので、今年も書きます。


あ、一応予防線を張るべく(何の?)いつもの文句を書いておきますが、ワシ自身は神道の信仰を持っていますが、もちろんそれを周囲に強制することも必要としない人に広めることも無いですし、違う信仰を持つ人とも信仰を持たない人とも等しく付き合ってます。そもそも信仰を持っているといっても「オマエが神主なら神など信じられぬわ」と言われる程度には日常生活で全く露出してませんし、破戒的である……かもしれません。かしこ。なのでまぁ、こんなのもあるのね、程度に軽く読み流していただければ。


ここからテンプレですが、おみくじと言っても「大吉」とか「凶」とかではなく、易や陰陽道で言うところの「八卦」を組み合わせた「六十四掛」と同様に表しまして、神道では(つか通う神社では)「月日のおしえ」ってのを元に解き分けします。ちなみに、陰陽裏返る場所が一箇所あるんで、全部で384通りの組み合わせがあります。


下記にて、赤丸(塗りつぶされている丸)が「日(陽)」、白丸が「月(陰)」です。上三つと下三つがそれぞれ「宮」の意味を為して、その「宮」で解き分けをします。細かく言うと、上三つは「周囲」の、下三つは「自分」の、「宮」です。さらに、青丸(右側に丸がある箇所)の部分が陰陽転じて、年内の変化の時期と変化した後の「宮」となってまた意味を為します。ここまでテンプレ。


で、今年のワシのおみくじ。







 


上三つが、上から陰-陽-陰の順番で、これが「坎宮(かんくう)」という「水」の働きを持った位。下三つが、上から陽-陰-陽の順番で、これが「離宮(りくう)」という「火」の働きを持った位。ここまでを合わせて「水火既済(すいかきさい)」と言います。で、陰陽転じる箇所が下からひとつめですから、転じた後は下三つが上から陽-陰-陰の順番で、「艮宮(ごんくう)」という「山」の働きを持った位。この転じた後は「水山蹇(すいさんけん)」と言います。


はい、これもテンプレを元に解説しましたが既に意味不明ですよね……例によって説明下手で恐縮です。


それでも今年もぶっちぎって話を進めます。なお、「何について判断して欲しいか」を願いながら引くのですが、例によって例年通り、仕事を中心とした全体運、てな感じです。えぇ、今年も「縁事」は引かない、結婚に興味0のワシであります。


それはさておき、説き分けタイム。


この「水火既済」というもの。基本的には「今のままで良い」ということのようです。周囲の宮である坎宮と、自分の宮である離宮を横にしてあわせると、

○ 
 ○
○ 

となるわけですが、これはバランスの取れた状態で、収まっている状態。自分と周囲が「気持ちを合わせれば収まる」となります。自分が「火」なので、移り気でアチコチに手を出したくなる(飛び火したくなる)時もありますが、そこは押さえて、今のスタンスを貫くが吉、と。


ただまぁ、回りに何かを頼む時は気をつけないと、自分が火のように熱くなっても、回りは水のように冷えてしまう、落ち込んでしまうかもしれないので、そこは程よい温度感で行く方が良いようです。特に、陰陽転じて自分が山の宮になるのが1月と7月にあたるのですが、その時は特に、山に水が覆い被さる形になるので、濁流注意、が必要。


自分が火で下にあって、周囲が水で上にあるので、程よく熱せられれば回りの水が温かくなるけど、やり過ぎると蒸発してしまいます。そうならないように自重しつつ、今のスタンスを維持する、と。まぁ、自分の宮で離宮が出る時は、大概何かカッカするような、熱っぽく怒るような出来事があるのですが、実際、ほとんど怒らないことで有名なワシが、この半月くらいあることについて怒り気味だったので、制された気分。


余談ですが、自分や身の回りの人が病気の時にこの「水火既済」が出ると、その人は亡くなってしまうかもしれない……という、ちょっと恐ろしい結果でもあります。病だったものが、収まるところに収まってしまう。まぁワシも家人も健康なので問題は無いですが、最近、伯母の体調が良くないのが、気になると言えば気になる……。


毎年そうですが、解釈論というかこじつけというか、特に信じない人から見たら笑止千万なおみくじさんだと思いますし、ワシはそれに反論できる論拠を持ってません。まぁそもそも、こういうものを実証実験なり検証するのって不可能ですしね。だから、信じるか信じないかだけの問題。基本的に一般的な占いは信じないワシですが、自分の信じ得るところでは自分の糧にしていたりします。