コトノハのシズク Blog(仮)

肉の妖精のライフログ。

I Kiss You,I 寄付 You.

タイトル、キスと寄付を掛けたわけですが、よく分からなくなっただけだった。


さて、伊達直人さんなど多くの方による寄付の話題が連日報道されていますね。良いことだと思います。ワシは教育上の理由で「人助けのできる人になりなさい」という言葉を小さい頃から洗脳のごとく聞かされ続けてきて、その志向自体は脳に染み込んでいるので、こういうニュースを聞くとそれだけで嬉しくなっちゃいます。


無論、必要なものと送られるもののマッチングや、それに便乗した愉快犯や悪戯が出るんじゃという懸念などが指摘されるのも分かりますが、前者はある程度の推測や、それこそ寄付先に問い合わせれば良い話であり、後者はそれをする人間が問題ですから、問題点としては些細なもの。


それでもやはり、これを「偽善」と切り捨てたりと、善意そのものを批判する人っていらっしゃいますよね。


例えば、こんなの一過性でブームを起こしているだけじゃないか、報道が騒ぎすぎだ、という人。一過性でも、それで現実に助かる人がいるならそれでも十分に意味があるじゃないですか。そりゃ、継続するに越したことはないですけど、「ブームがイヤだ」というのは、人助けをしない理由にはなりません。


あるいは「これは偽善だ」と言う人。まぁこれは反論するまでもないですが、偽善だろうがなんだろうが、「手助けしない」より「する」方がずっと価値があることなのは(相互扶助の社会性の中では)明白なこと。「しない善よりする偽善」ですよ。そして偽善だろうが、「した」ことによってそれは単なる「善行」になります。


あと、今回の伊達直人さんたちは「匿名」で活動してますが、無論寄付は「実名」でしても良いもの。ただ、よく聞く話としては、実名の寄付は「売名行為だ」「自己顕示欲を満たす自己満足だ」という批判がある、というもの。


すなわち、「寄付をしたのは言わないのが美徳」的な風潮ってやっぱりあるように感じますけど、これに至っては本末転倒ですよね。名前を出そうが出すまいがそんなことはどうでも良くて、「やることが美徳」に決まってるじゃないですか。


そんならね、ワシだって、毎月「口座引き落とし」っていう味気ない形でですけど、幾つかの団体、活動にささやかながら寄付してます、ってことをここで言ってしまいましょう。わざわざ言うこっちゃ無いかもしれませんが、隠すことじゃないし、恥じることでも無いです。


その意味で、昨日話題になってたshi3zさんのこのエントリーは、なかなか気っ風の良いことで、素晴らしいと思います。

IT企業の社長のみんな!児童施設にコンピュータを寄付しようぜ!
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20110112/1294801712


そう、海外では寄付って、名前を出して、ある意味で競い合うようにやっているんですよね。よく大災害が起こると、俳優の誰々が何百万ドル寄付したとか報道されるじゃないですか。あれが普通の感覚。恵まれない環境にある人へであったり、あるいは将来性が高いが現在では利益が上がっていないサービスへの寄付なんかもあって、後者はそれが産業界の下支えをしていたりもするようです。寄付自慢、大いに結構。それでも、やらないことより何万倍もの価値があります。


まぁ、何が言いたいかと言えば、寄付なんて、それが可能なちょっとの余裕が手元にあるんだったら、難しく考えないで「やっちまえ」ば良いんですよ。ちょっと調べれば、ネット上にだってたくさん出てきます。無論、それにみせかけた詐欺などの可能性も残念ですがありえますから、多少は背景を調べることも大事ですけど、例えばちょっと興味を持った社会問題で苦しむ人への寄付だって、ニュースで見た長年苦しむ人種問題に悩む人への寄付だって、なんだって良いんです。


でね、ワシなんかが妄想するのが、それが居酒屋雑談で交わされるような社会なんですよね。

「オレ、こないだ●●に×円寄付してさ、そしたら御礼の手紙が来て嬉しかったよ」
「オレなんか毎月▼▼に定額で入れてるから、毎年御礼のプレゼントが送られて来るんだ。もう3個も貯まったよ」

みたいな。


これは、寄付されている人を揶揄するという意味では無いですよ。現実的にこの社会、この世界には、困っている人がいて、それを助けられる人がいるわけだから、それを結ぶ「寄付」という行為が当たり前に認識され、話され、情報が交換され、新しいことを知る。それくらい、日常的なことであって欲しい。


余談になりますが、これは掘り下げていくと、ワシが主張している「テロを無くす手段は、世の中の富を再配分する」( http://www.yscompany.com/tomosaku/public_log/200110.html#20011003 )ということに繋がってもいくのですが、それはまた別の機会があれば。


さて。世の中、とかく「善意」に文句を付けたい人は多いようですし、実際、善意であろうとなんらかの「批評」(時には「批判」)の風にさらされるのは悪いことでは無いと思ってます。そうでなければ、今度は「善意」ならばなんでも良い、となりかねないから。でもね、どうせ文句を付けるなら、もっと意味のある文句を付けましょうよ。川の対岸から石を投げてるだけのような行為は、何も生み出しませんぜ。


もちろん、まずは自分の生活が大事ですから、そこを削ってまでするものではないですけどね。


恋人に、子供に、大切な人に、そっと、軽くキスをする時のように、ちょっとした気持ちを寄付として、物でも金でも、あるいはお手伝い、って形でも良いかもしれません(ボランティアだって「寄付」です)、行動してみるってのはどうでしょう。(よし、無理矢理タイトルに繋げた!←台無し)