日本誕生
NHKスペシャル「列島誕生 GEO JAPAN」視聴。日本列島は、地球史上稀に見る奇跡的な事象を経て成立した、というのを最新の学説をもって紹介する番組。過剰に自国を持ち上げるのは少し気になるが、まぁ地学的なことなら良いですかね。
その事象のキーワードは4つ。「引きちぎられた大地」「火山島の連続衝突」「地球史上最大規模の噴火」「突然の列島大隆起」。そして個人的には、我が故郷・千葉県は、日本で最後に作られた地域というのが、ちょっとグッときました。まぁ日本で唯一500m以上の地点が無い県だしね。
「引きちぎられた大地」とは、太平洋プレートの動きでユーラシアプレートが引きちぎられた事象。その結果、ユーラシア大陸から日本列島の半分くらいが離れて、海の中にポツンと島々ができた模様。
そこに「火山島の連続衝突」として、現在丹沢山地(神奈川県)になっているところから南、伊豆諸島にまで続く火山帯が、こちらもプレートに押されて北上&原始日本列島に衝突していったとか。その火山島群から吹き出した土砂が形作ったのが関東平野。
ここまでで充分壮大ですが、さらにすごかったのが「地球史上最大規模の噴火」で、その舞台は紀伊半島をメインにした西日本。超巨大な範囲で起こったカルデラ噴火で溢れた溶岩や噴石が、大地を作り、巨石を作り、その各地に残った名残が巨石信仰に繋がった、というくだりは、地殻活動と人間文化の交差点を見た感です。
ワシも熊野界隈を旅していて、川沿いにすごい巨岩を見つけて圧倒されたことがありますが、それは「古座川の一枚岩」と呼ばれていて、あるいは那智の滝も巨石でできているとのこと。そこに信仰を見出したのは自然なことに思えますし、紀州が修験者の聖地になったのも然もありなん。
地殻の話に戻ると。なんでも紀伊半島の地下には、カルデラ噴火の結果できた神奈川県ほどの大きさの花崗岩がマグマに浮かんでいて、それが押し上げられることで紀伊山地は生まれた……とか、もう何なんだよ。地球やばい。
ところで。ここまでで出来ているのはほとんど西日本。そして最後の大事件「突然の列島大隆起」は概ね東日本で起こって、その結果が今の日本列島の形だとか。これはある意味シンプルで、太平洋プレートがユーラシアプレートとフィリピン海プレートを押してきて、東日本側を隆起させています。
しかしシンプルとはいえ、例えばそれで出来た八海山は2000mの隆起と、これも中々に壮大。なお我が千葉県(房総半島)あたりは、50万年前、日本で最後に誕生した地域なのだとか。真打ちは最後にやってくるんだな!
こんな小さな火山だらけの島国にこれだけ豊かな自然があるのは、これら隆起した山々あって、それによって雨が降り、水の国にもなったからだということです。この島国に山がなかったら、乾燥した大地になっていた……想像はしづらいですが、確かにあり得そうな話でもあります。
なんやかんや、中学高校の時に理科や地理、地学なんかで習っていたことがベースとして身についているので、理解に難しさはありませんめしたが、それからまた年月が経って研究が進み、とりあえず今の着地点を見た気分。ブラタモリ然りですけど、地形好きにはたまらん番組でしたね!
ミクさん10年
2007年8月31日ころ、「ニコニコ動画」の話題と言えば「ねこ鍋」が大きかったと記憶しています。当時、サービスの広報を担当していたワシはいろんな問い合わせに対応していましたが、特にこの時期で覚えているのはねこ鍋。その数ヶ月後にはDVDの発売もされました。
9月に入って「初音ミク」の動画が投稿され始めましたが、最初は既存曲のカバー曲が多くその中に大好きな曲もあったりして、日々のサイトチェックをしながら「面白いものが出始めたなー」なんて思っていたものです。
そんな中に投稿された『【初音ミク】みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』。
http://www.nicovideo.jp/watch/1190218917
やはりここが大きな最初の転換期だった気がします。その後、数多くのオリジナル曲が投稿され、それを歌ったり踊ったり演奏したり描いたり……一次創作と二次創作の強烈なサイクルが回り始めたのが、やはりすごかった。
そんな中、その年末にワシは母校の日芸でゲスト講師としてニコニコ動画について授業をしましたが、そこでもやはりミクを巡るクリエイティブの新しい形を中心に取り上げました。
http://textalk.moe-nifty.com/trash/2008/01/post_b8db.html
自分的に次に衝撃だったのは、2010年に行われた「初音ミク初のソロコンサート」。ディラッドボードを使って3D投影されたミクさんのライブは、「それまで現象と思っていたものが存在に変わった!」と、その新世界に歓喜と寒気を感じました。
http://tomosaku.hatenablog.jp/entry/20100401/1270133778
思い出深いのは、2011年の夏にあったロサンゼルスでのライブの中継と、同じ年の秋にやった初音ミクだけの53時間生放送。まぁこれは仕事としていろいろ苦労と楽しみを味わった故ですが、ささやかかもですがひとつのエポックメイキングにはなったのかな、と。
http://tomosaku.hatenablog.jp/entry/20110703/1309705130
http://tomosaku.hatenablog.jp/entry/20111023/1319376823
その後は、超会議を担当する中だったり、ユーザークリエイティブを盛り上げるところだったり……やはりこうして振り返ってみると、この10年の出来事・仕事のすぐ側に、ミクさんがいたんだな、と感じます。
なんか、単なる思い出話になってしまいましたが、10周年の自分備忘録に。
デザイン解体新書
過日、「デザインの解剖展」を見にミッドタウンへ。「きのこの山」など明治の食品を取り上げて、そのプロダクトデザインを解剖してましたが。
すげぇ。
一応ワシも、一時期はデザインを生業としてたり、会社勤めしてからはCMやポスターとか宣材を手がけたりしてるので、(狭義広義問わず)デザインというものが如何に考えられているものかは分かっているつもりでしたけど、ちょっとこれは、想像の範囲を超えてました。
ロゴやパッケージデザインといった分かりやすいところに、コンセプトがあり色味やバランスが考えられレイアウトし、なんてのは当たり前の話。例えば、法令で義務付けられた表記が、必要性とスペースの都合と視認性とを踏まえて如何に記載されているか。
さらに商品は解剖され、味や成分、原材料と言ったレイヤーにまで分解されていく。それらは一見デザインでは無いようだが、なるほどその根っこがあっての、さらに言うならその商品の歴史(例えばチョコレートやヨーグルトの歴史)があってのパッケージなんだ、と気づかされます。
まさに、デザインの、解体新書。
すごい雑に言いますけど、デザインには足し算のデザインと引き算のデザインがあると思っていて、この展示は両者の真髄を味わえる気がします。と同時に、デザインというものが如何に日常に入り込んでいて、我々が何気なく接しているものが考え尽くされているかを実感。デザインすげぇ。
友人で、パッケージデザインとその印刷を手掛けている人がいて、彼にその辺の突っ込んだ話を聞いたことはありませんでしたが、今度飲むことがあれば詳しく聞いてみたいところです。
土曜日に行ったせいか、入場制限はされてるし、大きくは無い会場ながら密度は高く、しっかり見ようとしたら3時間くらいは掛けたいほど。時間なくて後半駆け足だったので、もう一度行きたいくらいの展示でした。
RENT 20周年東京公演観劇記(初日)
つかれた。
というのが、12月15日の夜、ミュージカル「RENT」を見終えての率直な感想。この作品、とにかく感情が揺さぶられるので、観劇後はとんでもない疲労感に包まれます。それは同時に、スポーツの後のようなすっきりとした満足感も携えているのです。
知らない人も多いかもですけど、この作品は1990年前後のニューヨークが舞台。イーストヴィレッジに集うボヘミアン、アーティストやマイノリティたちが主人公。クリスマスイブに「RENT(家賃)を払えるものか!」と高らかに歌い上げるある種の開き直りから幕が上がります。
そして伝説たらしめている理由の大きなひとつは、この作品の創り手、脚本を書き音楽を全て創ったジョナサン・ラーソンが、オフブロードウェイでのプレビュー公演初日の未明に命を喪ったことにあるかと思います。2ヶ月後にはオフからブロードウェイに昇格し、その後12年のロングラン。今回のように今も世界中で公演されています。
民族、性、貧困、そしてエイズ。様々な社会問題で身をやつした若者たちの群像劇が見事だけど、やはり本作の最大の魅力は、エンジェルという稀有なキャラクターを産み出したことにあるのではないかと個人的には思っています。
そして音楽。通常のミュージカルの倍以上あるらしいその数々が本当に素晴らしい。不満、焦燥、葛藤、歓喜、愛情、友情、出会いと別れ、そして死が音楽で浮かび上がります。「Today 4 U,tomorrow for me.」や「No day,but today」などの印象的なフレーズも心に残ります。
ワシが言うのも笑止ですけど、RENTを観ると人を愛したくなるし、愛する人の死を思って胸が潰れます。出会いの奇跡を信じたくなるし、形はともかくいつか来る別れの辛さを追体験します。その上で、生きてていい、と肯定され、右に左に激しく心が揺さぶられだ結果、疲労し満ち足りるのでしょう。
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一昨日は、東京公演の初日初演ということもあるし、小屋が広すぎたこともあるかもしれませんが、舞台の迫力としては7年前に赤坂で見た公演にまだ届いてない気がしたのは残念でしたけど、それでもこれだけ心満たされたので、クリスマス時期、もしご興味の方は是非に。
吉良さんの幻燈
ZABADAKの吉良知彦さんが亡くなった、という報がありました。
重要なお知らせ | Information | ZABADAK OFFICIAL SITE
56歳。若すぎる。個人的には、父親の享年と一緒というのも少し心に渦を残します。驚きと哀しみの中、昨夜から音楽を流し続け、寝ている間も聞き続け、今も部屋にメロディが流れています。
ワシは、音楽はそんなに詳しくはないし、趣味としてもそんなに広く鑑賞していないのですが、そんな中で数少ないずっと追っているバンドがZABADAKでした。
と。ZABADAK、と言っても結構マイナーなバンドだよなぁ、と思っていたのですが、昨夜からずっとtwitterのトレンドに入っていて、また取り上げた記事のtweet数も多く、存外、多くの人に愛されていたんだな、というのがまた驚き。でも、それだけ多くの人が吉良さんの死を悼んでいるのがまた哀しくもあり。
ZABADAKを知ったのは高校生の頃。友達から、ワシの好きそうな音楽があるよ、とCDを借りたら即ハマり、その時出ていたCDを買い漁りました。「のれん分け」の直後くらいで、既に上野洋子さんは脱退していましたが、その透明感のある歌声と、他にはないオンリーワンの音楽の世界観に没入したものです。
大学時代はライブも何回か行き、音楽が使われたプラネタリウムのプログラムに行き、キャラメルボックスの芝居を見に行っては耳にして。社会人になって後は、ライブからは足が遠のいてはいましたが、昨年、友達に誘われて十数年ぶりのライブに訪問。しかも、吉良さんの高校の同級生の方々と一緒だったので、終演後にご挨拶をさせていただくという僥倖に浴しました。
今にして思えば、吉良さんと直接お話しした最初で最後になってしまった。
そのメロディと、歌詞の持つ世界と、それに伴う思い出は語り出せばキリがありません。宮崎県は椎葉村の民謡「椎葉の春節」をアレンジした曲があって、それ以来ワシは椎葉村を気になり、日本最後の焼き畑農業をやっているとか豆知識が溜まり、いつか旅で行きたいと焦がれているのもそのひとつ。
でも、昨夜から聞いていて、実は一番思い出深いのは、ZABADAKではなく吉良知彦名義で出ていた「賢治の幻燈」かな、と思いました。
これは、宮沢賢治生誕100周年を記念して作られたアルバムで、賢治作品をモチーフにした楽曲、朗読などがまとまっています。これも大学のころに出ていたはずですが、それまで実はそんなに宮沢賢治を嗜んでいなかったワシが、すっかり賢治作品にハマったキッカケです(いまだに、詩はよく分からないけど)。
特に一曲目の「Prologue」は、短編集「注文の多い料理店」の序文がモノローグとして入っていて、あまりに聞きすぎていまでも暗誦できるほど。またここで賢治にハマっていた結果、大好きな漫画である「プラネテス」でも賢治が多用されていたので、その物語の理解に一役買いましたし、岩手を旅すれば賢治の施設にわざわざ立ち寄るように。
吉良さんの世界観のみならず、それが宮沢賢治と融合したことで、より広い世界を拓いてくれた作品だな、と思います。
なんともとりとめなくなりましたが。哀しみを覚えつつも、吉良さんの作品に、その幻燈に触れられたことを幸せと思い、彼の遺した音楽をこれからも聴いていきたいと思います。
雅を楽しむ
招待券をいただきまして、何年かぶりに宮内庁式部職楽部・雅楽演奏会を拝見。
<会場外観>
<会場。巨大な太鼓の装飾が美しい>
<天皇陛下がいらっしゃる時は、ここから鑑賞されるっぽい。>
ワシは、一応神主心得見習のくせに、雅楽に明るくはなく雑学以上の知識もないのですが、雅楽の調べを聞いていると、やはり自分は日本人だなぁ、という気持ち、あるいは思い込みに浸ります。育ってきた文化的背景に基づくアイデンティティ確認作業のひとつだと思いますが、まぁその心理は別途掘り下げたいとして、演目のこと。
今回の演目は分かりやすかった!音を聞いて、舞を見て、世界観や物語の想像がしやすかった、という意味です。まぁ解説書きがあるから脳内保管されているところもありますが。
管弦(演奏のみで構成)でやったのは、「双調音取(そうちょうのねとり)」「柳花苑(りゅうかえん)」「胡飲酒破(こんじゅのは)」。
「双調音取」は、音合わせっぽさもありますが、これから始まる世界観を作り出す効果を持っています。「柳花苑」「胡飲酒破」ともに、なんか春っぽい明るさを持っていて、芽吹きとか、暖かい陽気の中での酩酊とか、雅やかなゆったりとした音楽の中に感じる「勢い」が面白いです。
舞楽(演奏と舞)でやったのは、「喜春楽破(きしゅんらくのは)」「還城楽(げんじょうらく)」。
「喜春楽破」は4人で舞いますが、その所作に見惚れました。ユニゾンの美しさとかそういうことではなくて、何か、風に揺れる柳の枝を見た時のような、つい目で追ってしまう動き。「還城楽」はかなりきっちりとした物語があって、舞楽にしては珍しく、ラジオ体操かと思うくらいテキパキ動くのが面白いです。
<パンフに書かれた「還城楽」のイラスト。面を被り、左手には金色の蛇を持っている。>
どちらも、舞の中に物語があり、振付に意味を感じます。案外この舞楽(管弦でも)、小説のネタを考える時のインスピレーションをもたらすかもなー、とか感じました。
ちなみにこの会場、皇居内東御苑にありますが、天井から採光されてて、外をイメージしているらしいのです。だから、舞台周りで椅子の置かれている場所の足下は白石の砂利。こういう見立てがあるのも、なんか和っぽさを感じますね。
夢の中へ
こりゃ厨二や、厨二魂の実現や。