極音・銀河鉄道の夜
映画「銀河鉄道の夜」極音上映にて鑑賞。杉井ギサブロー監督の、キャラクターが猫中心のアニメ。
やー、関係者全員頭おかしいな!(誉めてる)
改めて見ると、銀河鉄道の夜の原作も相当へんてこな話だし(誉めてる)、これを猫キャラで描いた漫画も変だし(誉めてる)、それをこの暗いタッチで描いた監督もおかしい(誉めてる)。
今回立川までこれを観に行ったのは、極音上映だったから。本作、音楽は細野晴臣氏で、YMOを子守唄に育ったワシにはそれだけでネ申作品だけど、なのにこれまで屋外やらホール的な所やらでしか観たことがなく、まともな、それもシネマシティのキチガ……こだわり抜いた音響で聴けるってことで。
まずその音楽。シンセサイザーの興隆期でもある故か、テクノとはもちろん全然違うけど、打ち込み系の音がベースで、でもそこに暖かみとか悲哀的な感情を乗せているから、たぶん当時としては斬新だったろうし、今聴いても魅力的。別に探す必要はないけど、近しいのはゲーム音楽。
物語は……まぁ暗いし、それを猫で表現されるとあれこれシュール。色遣いや動きなどに、勝手にあれこれ思考を巡らせてしまうのは、製作者の思う壺なのかもしれない。様々な表現の「銀河鉄道の夜」を観てきたけど、やはり特異な作品だと思う。
フィルムはさすがにかなり傷ついていたけど、それがまた味に感じる。
しかし賢治の「銀河鉄道」という発明は本当にすごいな。作品そのものもさることながら、後世にこれだけの創作の種を巻いていった功績は本当に大きい。
余談。シネマシティにてこの4作品が一枚のボードに貼られてるのすごい怖さあるけど、なんだかんだ銀河鉄道の夜もちょっとホラー感あるよね。
現代美術と文学性
国立新美術館「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」往訪。狙ったわけじゃないのに、行ったのが文化の日で入場無料だった!
展示の解説にこんなことが書かれている。
【古代ローマの詩人ホラティウスが『詩論』で記した「詩は絵のごとく」という一節は、詩と絵画という芸術ジャンルに密接な関係を認める拠り所として頻繁に援用されてきました。以来、詩や文学のような言語芸術と、絵画や彫刻のような視覚芸術との類縁関係を巡る議論は、さまざまな時代と場所で繰り広げられてきました。】
ちょっとずれるかもしれないけど。ワシは自分が言葉と文章の人だと思っているので、絵や音楽などを見聞きしても、それを言葉にするとどうなるか、というのをいつも気にしている。本当は映像にした方が再解釈や人への伝達がしやすいだろうな、というものも、出来れば言葉に変換したい。
なので、この展示のテーマ自体がワシの生き様に近い(大袈裟)もんだなぁ、と見てみたが、ふむふむなるほど、やはり難しいもんだ。
文学性、ワシはそれを物語性とも言い換えたいが、伝わる作品と(ワシには)難しい作品とあり、そのこと自体がまた思考を深くさせるので、鑑賞できたのは良かった。
6人の現代作家が参加していたのだが、その中でお気に入りを紹介していくと。
北島敬三氏。今回の作品の中で唯一写真のみの展示だったが、その写真には、社会主義が消えゆこうとしている時期の東欧やソ連崩壊直後の旧ソ連各国の人々の顔だったり、日本の限界集落や被災地で廃墟などが撮られている。すなわち、撮影の時点でその背景に膨大なコンテクストがあるわけだ。
撮影年、撮影場所が提示されるだけで、受け手は勝手に物語を妄想していく。廃墟や衰退していく社会に、悲哀なり滅びの美しさを重ね合わせる。その良し悪しはさておき、そうさせる撮り方をしているのは面白く、個人的には今回の出展作の中で一番文学性を感じたかも。
小林エリカ氏は写真、映像、小説、造形と盛り沢山の表現手法で、テーマもオリンピック、聖火リレー、第二次世界大戦、原爆と盛り沢山。究極的には「火」に収斂するのだろうが、これらを融合させようという発想はすごい。技法が多岐に渡った分、やや散漫になった感も禁じ得ないけど。
そして、こちらもやはりテーマにコンテクストが詰まっているので、特に今を生きる日本人には様々な物語性と妄想を沸き立たせると思う。先の北島氏との違いで語ると、作者側の語っていることが多いので、妄想できる幅はやや狭くなってはいるのだけど。
このお二方だけを比べても、表現手法はもちろん、作者側の(表現によって)語っている密度と、受け手側の語れる幅に違いがあって、それだけでも面白い。
最終的にはすべて「解釈の問題でしょ」と言われてしまうかもしれないが、解釈できる楽しさを、受け手として味わいたいのだ。
デザインタッチ
昨日見たもののうち、今日で終わるものから書いておこう。
六本木の東京ミッドタウンで「デザインタッチ」って祭典が開かれてて、全部追おうとするとこれまたとんでもない情報量なのだけど、とりあえず絞って、「六本木カラー渓谷」「グッドデザイン賞受賞展」見てきた。本当は「オーデマ・ピゲ 時計以上の何か」も時計好きとしては見たかったんだけど、予約優先と聞いてたのが予約のみ入場可になってて断念。
六本木カラー渓谷は屋外のインスタレーション。っても中を散歩するくらいなんだけど、動脈静脈をイメージした赤と青と聞くと、少しもの思うことあるよね。
グッドデザイン賞は、今年も面白いな!斬新なデザイン、美しいデザインはもちろんだけど、やはり近年目立つのは「課題解決のためのデザイン」。これって、デザインでイノベーションの変化を起こしているのが面白い。その行動自体は昔からあったんだろうけど、注目されるようになったと言うか。
結局まだ乗れてないラビュー、松山と呉、広島を結ぶ“海を走る公園”がコンセプトの「シーパセオ」とか乗ってみたいし、「箱根本箱」なる宿泊の取り組みは泊まりたいし、那須のリゾートにできた「水庭」始め面白い建築物のあれこれも行ってみたい。あと、登戸駅のドラえもんデザイン超可愛い。
カセットガスで温める持ち運べるシャワーなんかは、レジャーはもちろん災害時にも役立ちそうだし、ガラス管でできたスピーカーなんかもお洒落。食品ロスを減らす食事マッチングアプリや、地方再生をデザインからアプローチするのも面白い。
別会場では「ロングデザイン賞」として、長年愛されるデザインの表彰展示もされてたんだけど、ラジオ体操や3分クッキングもあって草。でも分かる。三越の包装紙なんかも、なるほどねぇ。
と、これでも全体の半分くらいで、デザインタッチ、盛り沢山すぎるよ!
スタシス展@武蔵美
ポーランドの大好きなアーティスト、スタシス・エイドリゲヴィチウスの美術展「イメージ—記憶の表象」が、ポーランドと日本の国交樹立100周年を記念して武蔵野美術大学で開催されている……というのをスタシス仲間から聞いて武蔵美に来てみたら、学園祭(芸術祭)やってたでござる。何その偶然!
大学内の美術館に作品が並ぶけど、そんなに広くはないスペースに、これでもかという展示作品!やばい、これは幸せだ。
そもそもよく考えたら、氏の作品は1985年ころから2000年ころのものしか見たことないことに気づいたけど、今回1975年のアートワークから最近年のものまであり、何がすごいって。
この40年間以上、作風が全くブレてない!
氏の作品は、人によっては気持ち悪いとも取れるし、シュールレアリズムとも違うし、ある意味での抽象画要素もあると感じているけど、その超独特の構図、構成要素、図柄、コラージュ、全然ブレてない。このブレなさはある意味で、クリスチャン・ラッセンや天野喜孝氏に通じるものがあるかも。
ワシがこれまで触れてきた作品は、ポスターや絵本の挿画、イラスト集だったが、今回写真作品やアイデアノート、蔵書票とかもあり、特に日本に来た時のスケッチなんかもすげぇ良かった。1枚の絵の中に繰り広げられる世界観が広すぎて迷子になりそうになるのが楽しい。そしてスタシスの蔵書票とか欲しすぎる!
ということで、すっかり堪能して、これは図録を買うしかないと思ったのに、売り切れ!いかん、オークションサイトを探す日々が始まるかもしれん。
ところで武蔵美の芸術祭の方。全然知らずに来たので見る時間を想定しておらず、30分ぐらいで駆け抜けてしまったのだけど、やはりメディア系成分強めの日芸とはまた少し空気や展示が違って、時間かけて見たかった。テーマは海賊とかなんだろうけど、世界観の構築も凝っていて良い。ワシ、卒論テーマが「学園祭」で、他大学幾つか取材したけど、武蔵美は来てなかったなー。
禅と庭のミュージアム
広島県は福山市にある「新勝寺 禅と庭のミュージアム」がおかしい。
・現代アーティストが手がけるインスタレーション
・ピエールエルメとコラボした焼き菓子
・浴室があってしかも入れる
前情報だけでお腹いっぱいだけど、ここを知ったのは、一昨年の正月に見たNHKのアート番組で片桐仁さんが紹介していて興味を持ったから。
そんで、福山駅からバスで30分以上掛けて行ってみたら……すげー良かった!単に奇抜な企画のの寺ではない、居心地が良く、芸術を嗜み、禅の教えを受け取り、茶の心を知り、それらを包む自然の美しさを楽しむ、そんな空間だった。
入るなり広がる庭園がまず美しいのはさすが。国際禅道場なんてのを見ながら緑を浴びる階段を登り15分ほど歩くと、まずは本堂。
広い空間に鎮座する仏像に、まずはお焼香。その前に広がる「無明庵」なる石庭も、こぢんまりしつつも落ち着きある石の置き方が良い。
蒐集している禅画家・白隠の墨絵コレクションは、達磨絵ほかのユーモラスながら伸び伸びとした墨絵が美しい。これイイ!と思った絵のモチーフが大好きな太公望だったりして嬉しい。あとね、入るなり円の筆を見せられるのは、やはり禅のイントロとしてはインパクトある。
僧侶にとっては修行の一環である食事も疑似体験させて貰えて、寺内の五観堂で新勝寺うどんを食しながら、雲水と呼ばれる禅宗僧侶の作法を様々に教わる。食べる前には経を読み、独特の雲水箸の使い方や、洗鉢と呼ばれる食後の皿洗いまで、大変に興味深い。なお味そのものも、美味い!コシのある極太うどんを湯だめから取り、薬味にすりごまをたっぷり入れた濃い目のツユですすり、最後はそこにご飯も入れてツユも飲み干し、出されたものは最後まで全ていただく作法まで含めて美味楽しい。
こちらの寺の目玉のひとつ、現代アーティストが手がけるインスタレーション「洸庭」。まるでフィナンシェのような、船をイメージした巨大建造物の中に入って、暗闇の中で作品に浴し、瞑想とかをするらしい。でもそこはそれ、どうしても「どういう仕掛けか」が気になって凝視してしまうのは職業病。
とはいえ、これも体験して欲しいところだけど。遠近感の奪われる暗闇の中、水と光とが緩やかにたゆたいうつろう様が、確かに瞑想向き。途中退出してもいいらしく、飽きる人もいそうだけど、これ、最後まで見た方がいいと思う。最後の光と水の使い方で、なるほど「洸庭」だなと納得感あった。
意外な良さがあったのが、浴室。今日は男子風呂が露天の石の湯だったけど、ここが最高!竹林の木漏れ日を浴びながら手足を伸ばせば、自然と息も漏れようというもの。ここだけで30分くらい浸かっていたいー!というくらい心地よかった。バスの時間さえなければー!
風呂上がりは含空院で、すてきな庭を見ながら粟餅ときな粉餅に煎茶を喫する。これ、お代わりの急須にお湯は入っておらず、室内にある湯釜からお湯移して煎れるの、こういう細かい演出がすごく楽しい!
その他の建物や散歩道もすてきで、3時間の滞在時間フルに楽しんで足りないほど。行きにくいせいか人も少なくて、でも「寺的な空間」も「現代アート」も内包した、ちょっと新しい体験が出来るので、ホント、おススメ!
ブラタモリ「熊野の観光」私的まとめ
※大斎原大鳥居周辺。ここだけ広い中洲。
NHK・ブラタモリ「熊野の観光」視聴。テーマは「熊野観光の“深〜い”魅力とは」だったが、テーマを見て地殻や火山活動が絡むだろうという察しは正しかった。それらが産み出した様々な観光資源の由来を辿る。
串本の橋杭岩は、1400万年前の火山活動でマグマが冷えて出来た流紋岩が露出して削られたもの。他にも紀伊半島には、巨岩や岩が作り出した不思議な景観が多いが、それらは同時期の火山活動が由来。そもそも、東西23km南北40kmという巨大な熊野カルデラがあった、というのは別のNスペでも見た覚え。
内陸に移動して、熊野本宮大社に近い川湯温泉。ここは川底から熱い温泉が湧いており、川の水で埋めて入ることが出来る。なんなら冬は巨大浴槽になるらしい(行きたい!)。
普通、温泉の熱源はマグマだが、熊野の火山活動ははるか昔に終わっており、ではなんで温まっているのかというと、なんとフィリピン海プレート!
太平洋プレートは、海嶺から1億年以上掛かって日本近海に来ているのですっかり冷めているが、フィリピン海プレートは海嶺から300万年でこの辺りに到達するのでまだまだ暖かいのだとか。いやいや、それでも300万年だよ!普通は1km掘ると温度は30℃上がるが、紀伊半島は40℃も上がるらしい。
そんな地下からの熱や温泉の通り道は、マグマの冷えて固まった流紋岩の割れ目。とんでもないスケールで温泉が湧いていて、これホント凄いしかなり興奮する。
そして、やはり本宮大社に近い湯の峰温泉。その中で誰でも入れるつぼ湯は、熊野古道のすぐ横にあり古道の一部として登録された世界遺産唯一の公衆浴場。1700年前に開湯し、古くは本宮大社参拝のために身を清める湯で、しかし海底から来ているので仄かに塩気を持ち、近くには誰でも煮炊きできる湯筒があるのだとか。
※熊野本宮大社参道
最後は、熊野本宮大社。熊野詣で原点の地は、身分に関係なくお参りが出来た場所であり、その懐の深さが昔から参拝者が耐えなかった理由。今は一般立入禁止の社殿の下には籠縁(こもりえん)なる、神々の近くでお参りが出来る場所があり、頭上の熊野の神々を感じて厳粛な気持ちになったろうな、と想像出来る。
※大斎原の大鳥居
さてその社殿に残る洪水の跡。これは明治22年の災害でかろうじて残った社殿を高台に移築したから。その、元々の社殿があったのが大斎原(おおゆのはら)。今でも日本一の高さの大鳥居があるが、山の中でここだけ拓けている中州の真ん中にあたり、この神秘的で広大な河原の誕生には、やはり地質が関係していた。
大斎原があるあたりは熊野川の中流域だが、下流域よりも川幅が広くなっている。これは、下流域の地質が浸食されにくい流紋岩なので、川の流れが悪くなり、中流域の方が拓けたのだという。地質が生んだ神秘的な地形が、熊野が民衆に惹かれる要因だったのではないだろうか。
ブラタモリ「熊野」私的まとめ
NHK・ブラタモリ「熊野」視聴。テーマは「なぜ熊野は日本の聖地になった?」。
舞台はワシも何度か訪れている熊野三山。都である京都からは300km離れているが、蟻の熊野詣でと言われるほどに参拝者が多く、そこには誰もが訪れたくなった理由がありがたい理由があった、という。
※那智の滝
名瀑・那智の滝を擁する熊野那智大社。江戸時代、通行料を取った途上の大門坂の関所からは、そのものがご神体である那智の滝がチラ見でき、滝を見るだけで滅罪浄化(現世の罪が許される)とされていたらしい。
※熊野那智大社参道
その那智の滝の成立には、やはり地質が絡んでくる。大門坂の石段は江戸時代に周りの谷から採った柔らかい砂岩。那知の滝の岩肌はマグマが冷えて固まった硬い流紋岩。水は柔らかい砂岩を浸食し、地質の境目にあったことが、那智の滝を名瀑たらしめている。
そして、熊野那智大社にはありがたさを押し上げた物があって、ひとつは八咫烏が姿を変えたと言われている岩。八咫烏は神の使いの三本足の烏で、サッカー日本代表のシンボルマークでもあるが、熊野のシンボルでもある。
もうひとつは、神仏習合。熊野那智大社は神社なのに、仏教のものである護摩木があるが、これは隣接する青岸渡寺が由来で、神仏習合によって密接な関係が築かれた故のこと。かつては渡り廊下すらあったのだとか。
ご神体である那智の滝と、青岸渡寺の三重塔が隣り合って見えることで、現世の罪を浄化する神様、死後の苦しみから救ってくれる仏様、役割の違う、まさに「神様仏様」を拝むことができたのが人気の秘訣。「医療保険と死亡保険のダブル保証」の喩えには吹いたが、都から近すぎず遠すぎずの絶妙な距離感と相まって、ありがたみが増したのだろう。
元々個別のルーツを持つ熊野三山は、11世紀に神仏習合と共にまとまった。そこには、熊野古道を整備し上皇を呼び寄せた立役者(プロデューサー)がおり、それは山伏と言われている。修行をし、道を整備し案内し、全国を巡って布教活動をした結果、日本第一大霊験所と呼ばれるまでになったのだとか。
しかし、この聖地のありがたみも、雄大で神秘的な紀伊山地の地形あってのもの。フィリピン海プレートと太平洋プレートが押し上げ、多雨で浸食されてもまたプレートの力で隆起し続ける、その結果出来上がった海と急峻な山とが密接な地形が、この地を聖地たらしめている。
故に熊野では海も聖地となる。海に近い補陀洛山寺に置かれた船は、補陀落渡海船を復元したもの。四方に四つの鳥居があるが、これは山伏の修行の作法では葬式であり、この船は棺桶船であった。
補陀落とは苦しみの無い仏の世界のことだが、海の向こうにあるとされ、かつて住職はこの船に乗り、外から釘を打たせて出られなくし、人々を救うために海へと旅立ち、そのまま帰らぬ人となった。いわゆる捨身行だが、熊野の信仰が山から海へと広がっていった故であった。
(写真は筆者)